橋田壽賀子×石井ふく子 恨むヒマがあったら、感謝―91歳と92歳の人生観―〈『恨みっこなしの老後』刊行記念対談〉

対談・鼎談

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恨みっこなしの老後

『恨みっこなしの老後』

著者
橋田 壽賀子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103516118
発売日
2018/02/27
価格
1,100円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

【『恨みっこなしの老後』刊行記念対談】恨むヒマがあったら、感謝―91歳と92歳の人生観― 橋田壽賀子×石井ふく子

 戦争は「記念」にはできない

石井 私も橋田さんからいろんなことを教わりました。私がやりたい企画を引き受けてくれるのは橋田さんだった。
 ある時、局に「戦争の記念番組をつくれ」と言われたことがありました。戦争を経験している私からすると、戦争は「記念」になんてできるものではない。
 今回のご本に、橋田さんが海軍経理部に勤めていた頃、特攻隊員を見送った戦争の体験が記されていましたが、私にも忘れられないことがあります。
 勤労動員に駆り出されていたある日、警戒警報が鳴ったんです。その後すぐに空襲警報が鳴るのは分かっていたから、皆急いで班ごとに整列するために集まった。でも、その日に限って、副班長の私は仕事が長引いてしまいました。副班長はいつもは先頭なのに、なんとか駆けつけて最後尾にやっとついたんです。その直後に、機銃掃射。私の代わりに先頭に並んだ班長をはじめ、列の前から三人が亡くなりました。

橋田 それはつらいわね……。

石井 普段通りに私が先頭を務めていたら、今頃私はいません。ご家族と先生にお知らせに行く時のつらさ……。いまだにそのつらさが心にありますね。明日また会えるかどうか分からないという時代ですから、「さよなら」という言葉は決して使いませんでした。皆家に帰る時は、「またね」と声を掛け合って別れました。

橋田 そう、死ぬのが怖くなかった時代でしたよね。今日生きていること自体が不思議で、戦争は皆が死ぬものだと思い込んでいました。当時は、コッペパン一個が神様からいただいたみたいにありがたかった。
 終戦時に私は二十歳。同世代の男性は戦争でたくさん亡くなり、「トラックいっぱいの女に一人の男」と言われた時代ですから、結婚なんて考えられなかった。でも、『恨みっこなしの老後』に書いたことですが、戦争でどん底を知ったおかげで、その後の人生の「幸福度」が高くなったという事実はありますね。

石井 ドラマでどう描こうとも、現実の戦争の凄まじさ、つらさは伝わりようがない。私は、局の意を汲みながら、何ができるかを考えました。そこで思いついたのが、赤穂四十七士が悲願を達成する「忠臣蔵」を女性側の視点でドラマにすること。でも、当時の女性についての資料がほとんどなかったので、いろんな脚本家に頼んでも断られました。でも、橋田さんだけは「のった」と二つ返事で引き受けてくれたんです。それで実現したのが「東芝日曜劇場」一二〇〇回記念の三時間ドラマ「女たちの忠臣蔵」(一九七九年放送)です。

橋田 太平洋戦争で、「天皇陛下、万歳!」と言って亡くなった方々もかわいそうですが、その人たちの苦しみは命尽きたときに終わった。でも、後に残された家族は、その後ずっと苦しんだでしょう。太平洋戦争で、私たちが実際に目にしたことを投影して、「忠臣蔵」の背景にいた女たちを描きました。男が戦う陰で、女がどれほどの犠牲を払って、つらい思いをしたのか。私は母、姉、それぞれの立場の思いを書きました。史実は少ししか残されていなくても、脚本家がいくらでも作ればいいですからね。

 「視聴率は?」「知りません」

石井 東芝へ企画の説明に行ったら、「それは立ち止まって観られるドラマですか」と訊かれたんです。私は何のことを言われているのか分からなかったけど、とりあえず「はい、そうです」と、許可だけもらって帰りました。放送後に真っ先に東芝に御礼に行くと、担当者が「立ち止まるどころか、僕は泣いたよ」と言ってくださいました。続けて、「視聴率は?」と聞かれもしたけど、「知りません」と応えましたよ。

橋田 私たちは視聴率で作ってないのよね。

石井 どうやったら皆さんが感動してくださるか。それだけを考えて、ひとつひとつのドラマを作っているんです。

橋田 あの頃はスポンサーが一社だったから良かったですね。今は複数のスポンサーがいて、プロデューサーとスポンサーが会う機会なんてないですよね。一社提供だった時代は、そのスポンサーが企画を理解してくれたら実現できた。

石井 ナショナル提供のドラマに出ている俳優は東芝提供には出られないし、またその逆も同じといった縛りはありましたけどね。

橋田 他では、「源氏物語」を書かせていただいたのは夢みたいでした。谷崎潤一郎さん、円地文子さんなど訳された方はたくさんいらっしゃるけど、映像化はめったにできないことでしたから。

石井 四時間を二回という、二度とできない豪華なドラマでした(総制作費十二億円。一九九一年十二月二十七日、一九九二年一月三日放送)。語り手の紫式部を三田佳子さん。源氏は、上の巻は東山紀之さんで、下の巻は今の片岡仁左衛門さん。藤壺女御と紫の上の二役を大原麗子さん。末摘花を泉ピン子さん。歌舞伎、新派、新劇、映画界から、錚々たるメンバーが出演してくださいました。

橋田 私たち、つくづくテレビの一番いい時代にやらせていただきましたよね。昔の私の原稿料は安かったけど……。

石井 そうでもなかったですよ。それに今は、一番高いです。

橋田 エッ! TBSで? 本当に? だったら、局のためにも、もう書かない方がいいわね。

石井 またそんなこと言って(笑)。

新潮社 波
2018年2月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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