橋田壽賀子×石井ふく子 恨むヒマがあったら、感謝―91歳と92歳の人生観―〈『恨みっこなしの老後』刊行記念対談〉

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恨みっこなしの老後

『恨みっこなしの老後』

著者
橋田, 寿賀子, 1925-2021
出版社
新潮社
ISBN
9784103516118
価格
1,100円(税込)

書籍情報:openBD

【『恨みっこなしの老後』刊行記念対談】恨むヒマがあったら、感謝―91歳と92歳の人生観― 橋田壽賀子×石井ふく子

 原節子さんへの憧れ

橋田 私は、原節子さんの最期に憧れているんです。二〇一五年に九十五歳で亡くなられましたよね。一九六三年に引退された後は、静かに暮らされて、亡くなってからも二カ月以上マスコミにも知られなかったでしょう。
 石井さんは戦後女優さんをされていたときに原さんと共演されたんですよね。

石井 父(劇団新派の俳優伊志井寛氏)の知り合いの長谷川一夫先生が推薦してくださって、新東宝に入ったんです。
「女医の診察室」(一九五〇年)という作品で出会った原節子さんはすごく素敵な方でした。プロデューサーに「台詞も何もいりませんから、原さんのおそばでお手伝いをさせてください」と強引に頼んだら、看護婦の役をくれたんです。ある日、私は撮影現場で具合が悪くなって医務室で横になっていたんです。誰かに声を掛けられて目を開けたら、女医の衣装のままの原さんが「大丈夫?」と心配してのぞきこんでくださいました。びっくりした私が緊張していると、「ちょっと口開けて」。何かな、と思っていたら、チョコレートをぽとんと口に落としてくださったんです。「これを食べると元気になるわよ」って。

橋田 なかなかチョコレートが手に入らない時代よね。

石井 それ以来、私はチョコレートを食べないの。原さんにいただいた味を忘れたくないから。

橋田 それでチョコレートを召し上がらないのね。てっきり、お嫌いなのかな、と思っていました。

石井 原さんは、おきれいで、さっぱりした男みたいな気性の方でした。今は節約の時代ですが、当時全盛期の映画の撮影は、ロケーションをあえて少し残して帰ってくるの。それで後日最後のロケに行って、打ち上げをするんです。伊豆の長岡の打ち上げのとき、余興で原さんが男役、上原謙さんが女役をやって、お二人とも本当に美しかったんですよ。

橋田 きっと原さんは宝塚の男役みたいに凜々しかったでしょうね。

石井 原さんがお辞めになってからも、何度かお電話はしたんですけどね。ご迷惑かなと思ったりしていたんです。そしたら亡くなられて……。

橋田 いろんな出会いがありましたが、『恨みっこなしの老後』に書きました通り、ここまで生きていると、もう誰も恨んでいません。昔、「こんちくしょう」と腹を立てた人も、いつしか私の心のなかで、「やる気を起こさせてくれた人」に変わりました。
 石井さんは、もともと怒りをうまく転換するし、人の良いところを見ますね。

石井 私の本のタイトルにしたこともありますが、「あせらず、おこらず、あきらめず」の三つが私が大切にしていること。私にはきっと、どこかしつこいところがあるのね。

 長生きの秘訣は

橋田 ひとつしか年齢が違いませんが、あなたはあまり歳のことはお考えにならないのよね。私は九十二歳も、足が弱っていることも、何だって売りものにするけれど。

石井 年齢を言うことは、「甘え」になりかねない、と思うんです。「高齢だから手加減してほしい」というように。だから、私は年齢は言わない主義。「年を取る」というのは文字通り、「年をひとつずつ減らして、若くなる」くらいの気持ちでいます。ドラマに限らず、まだやりたいことがありますしね。

橋田 偉いなあ。私はもともとぼんやりしているのが好きだし、もう船に乗って遊ぶことしか考えていないの(笑)。他にはドラマの再放送を観るのが楽しみ。昔、忙しかった頃はドラマなんて観られなかったですからね。藤田まことさん、いかりや長介さん、小林桂樹さん……昔の俳優、すばらしいと思う。今のドラマは英語がいっぱい出てくるし、難しい。もう題名から長くて意味不明だから観ない。

石井 確かにタイトルからして理解不可能のドラマがありますよね。

橋田 今は一人で古いドラマを観るのが至福の時ですが、あなたも私も一人っ子。だから、家族がいなくても、寂しいと思ったりしない。それが長生きの秘訣かもね。
 私は周りに人がいると、リラックスできない。だから、私はお手伝いさんが来てくれている間、緊張してる。心の中でお手伝いさんに対抗していて、それがきっとボケ防止になってるのね(笑)。
 子どもがいない私は天涯孤独。心配する人もいないし、心配されることもないから、気楽で自由そのもの。夫が生きていたら、今頃世話が大変で、旅行も、書くこともできなかったでしょう。

石井 私も一人が断然楽ですね。

橋田 これから高齢化社会になって、子どもが仕事を辞めてまで親の介護にあたるようになったら、日本は先細りしてしまうかもしれませんね。八十代の親と五十代の子どもの世帯が孤立して困窮する「8050問題」なんて、本当に深刻。
 老後に子どもを頼らずに生きていけるように、若いうちから働いてお金を貯めておいて、老いてからは極力自分のために使うべき。施設に入るための資金にしてもいいし、元気な人は遊ぶためでもいい。とにかく、「あんなに世話してやったのに」と、人を恨んで暮らすのが一番もったいない。だって、子育ても、誰かの世話も、自分がやりたくてやったことでしょう。その時の喜びは自分のものだったはず。それを今さら恨むのはおかしい。恨み節を言うヒマがあったら、老後は人に期待しないで、見栄を張らずに、気楽に暮らした方がいい。そのことを『恨みっこなしの老後』に書いたのよ。

石井 私も、「してあげたこと」はその場で忘れればいいと思っています。「してもらったこと」だけを覚えていれば。

橋田 私、最近は「してもらったこと」も、忘れちゃった(笑)。でも、ここまで来ると、いろんな人に「ありがとう」しかないですよ。後は、生きている限り、元気でボケずにいたいだけ。今年も世界一周旅行に出かける予定ですから。

石井 あなたの場合、認知症予防には、書くことが一番よ。

橋田 認知症は、栄養の問題と聞いたわよ。書いてもダメよ(笑)。でも、石井さんの説得にはいつも負けてしまうわね。「もう書かない」とあれほど言った「渡鬼スペシャル」も、いつの間にか今年も書く話になっているし……。

石井 秋の三時間スペシャルを考えています。

橋田 私が生きていればね。

石井 大丈夫ですよ。とにかく、これからもお元気で、脚本を書いてください。

橋田 石井さんにもずっとお元気でいてほしい。もう私を叱ってくれる人もいなくなりましたから。あなたに怒られるのが、私の一番のボケ防止になっていると思います(笑)。

新潮社 波
2018年2月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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