希望を語るにはまず現実を 社会の病理を正面から描く

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焔

『焔』

著者
星野 智幸 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104372041
発売日
2018/01/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

希望を語るにはまず現実を 社会の病理を正面から描く

[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)

 自分を愛せないと人はどうなるか。この短編集を読むとよくわかる。「ピンク」の舞台は近未来の日本だ。四十度超えの日が続き、人々は我知らず回り始める。そうしているときだけ、耐えがたい暑さを忘れられるのだ。就活で百八つの企業に落ち、今は姉の娘の子守をしている七桜海(ナオミ)もその一人だった。やがて彼女は公園の巨大な楠にロープでぶら下がり回っている青年を見つける。彼は言う。猛スピードで回ると「ゲロも吐いちゃう。汗も出る。デトックスだと思ってた。嫌な自分とオサラバって感じで」。

 何をしても上手くいかない彼は、右翼系の市民団体に入っていた。だが、民族という自分より大きなものに一体化することで安心が得られるかと思いきや、ちょっとしたことで裏切り者呼ばわりされ、傷つけられて追い出される。自分でいることは苦しい。だが、自分たちという集団の中にもいられない。だから彼は、まるでイスラム神秘主義の行者のように、ひたすら回り続けるしかない。こうしているときだけ、惨めな自分を忘れていられるのだ。

 そんな絶望は「木星」にも共通している。他のアジア諸国を敵視する価値観に雪崩を打って染まった人々は、そうでない者を「あいつは変わってしまった」となじる。主人公の恋人、夕暮(ゆうぐれ)もその一人だ。だが主人公は奇妙なことに気づく。彼の目が、まるで人形のようなのだ。やがて彼女は、すでに夕暮が死んでいると知る。彼だけではない。職場の同僚も、昔の知り合いも、いや自分自身さえ、日本が世界を相手に起こした大戦争で全員亡くなっていた。何もない荒野となった場所で、亡霊たちは永遠に過去の日常を繰り返す。まるで、命を失ってようやく何が大切かに気づいたように。

 最近の星野智幸はすごい。『俺俺』も『呪文』も、現代社会の病理を正面から見詰めている。希望を語るにはまず、現実を直視しなければならない、と彼は教えてくれる。

新潮社 週刊新潮
2018年3月1日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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