『牛天神 損料屋喜八郎始末控え』
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待ち望んでいたのはこれ 結末の清々しさも絶品だ
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
江戸時代の、いわばレンタル屋である喜八郎の活躍を描く人気シリーズも、〈番外編〉『梅咲きぬ』を含めれば本作で堂々の第五弾である。
物語を読みはじめるや、深川に生きる男たちの凛とした佇(たたず)まいや、その空気感までもが伝わってきて、ああ、待ち望んでいたのはこれだ、と思わず頷かずにはいられない。
作品は、質屋の道楽息子を喜八郎が引き受けることになる巻頭の「うしお汁」や、きびしい商家の掟の中に一筋の情が絡む「つけのぼせ」を経て、第三話の「仲町のおぼろ月」から一つながりの物語となってくる。
佃町の元の火除け地二千坪を公儀から下げ渡された堂島屋(どうじまや)は、「深川のみなさんの暮らしに役立つように使う」といいながら、作業場に必要なすべてのものを本所から運び入れ、何やらきな臭い雰囲気が漂いはじめる。
堂島屋の背後にいるのは、役人や検校とも通じた今戸の材木問屋妻籠(つまご)屋で、これまでにも、同様の手段で手に入れた土地に巨大安売り市場をつくり、地元の小商人たちを歯抜けにしてきた。こうした構図は、巨大スーパーの進出等で地元の商店街が立ちゆかなくなるなど、現代にも通じるテーマであり、何より、店と客との絆を断ってしまう。喜八郎らは辛くもこの妻籠屋のたくらみを阻止するが、このあたりからはじめの二話で張られた伏線も活きてきて、作品の緻密な構図が浮かび上ってくる。
一方、収まらないのは、はじめて負け戦さを味わった妻籠屋である。彼は、図抜けた技を持つ、役者・耳・蹴出(けだ)し・小僧の四人を使って喜八郎に徹底的な仕返しを試みる。実は、彼には「両親を奪ったのは深川だ」という過去があったのだが、その憎しみの中に、一片の人間性が残っていたため、そうした己におののき、物語はシリーズ中、最も意外な結末へと向かってゆく。
このラストの清々しさは、ちょっと、こたえられないだろう。