新聞は死なずとも新聞“社”は死す
[レビュアー] 林操(コラムニスト)
朝日の慰安婦から産経の沖縄へと至るイデオロギー臭い誤報、読売の前川バッシングのような露骨な政権擁護、その他いろいろで新聞批判が喧しいなか、『新聞社崩壊』は右だ左だとツツき回るような呑気なジャーナリズム論の書ではない。矛先はマスメディアとしての新聞というより、企業としての新聞社ですから。
新聞ビジネスについても読者への押し売り=勧誘やら、販売店への押し売り=押し紙やらで地味な批判がたまに出るけれど、この新書は、もっと根深い新聞の死病である読者の減少の病状と病因までがテーマ。新聞が果たしてきた機能はこの先も不可欠だとしても、いまある新聞社は生き残れないという冷徹な診断にまで踏み込んでいく。
著者の畑尾一知は、販売畑を歩いてきた朝日のOBで、新聞叩きで喰ってるような頭でっかちのアウトサイダーとは真逆の人。新聞への目線は地に足がついていて、実は昔から世に多い新聞嫌いの分析も納得度が高いし、全国紙にブロック紙、地方紙の43紙各社の『会社四季報』的経営診断がまた読みどころで、同業他社や役所の人間、企業の広報あたりが日本中で飛びついてるのが眼に見える。
なお、新聞社の苦境をあらためて知るうちに再認識したのはNHKの歪(いびつ)さ。受信料の支払いが義務だなんて底抜けなビジネスモデルに胡坐をかいての高レベル待遇と低レベル報道、国営じゃないと言い張るのなら、新聞社と一緒に一度、死んでみていいんじゃない?