藤原正彦×阿刀田高 漱石はどこが面白いのか?〈阿刀田高『漱石を知っていますか』刊行記念対談〉

対談・鼎談

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漱石を知っていますか

『漱石を知っていますか』

著者
阿刀田 高 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103343301
発売日
2017/12/22
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

漱石はどこが面白いのか?

ハッキリ言って小説は下手だった!
二人の作家の目に映った文豪の本当の凄さとは。


藤原正彦×阿刀田高

阿刀田 私の感覚として、今の若い人たちは松本清張ですら読むのが難しくなってきている気がします。そうなると漱石などはほぼ古典の範疇です。『漱石を知っていますか』は、現代の実作者である私の目に漱石はどう見えるのか、敬意を持ちつつも率直に綴ってみることで、若い人たちが漱石を読む際のガイドにできないかと考えたのが第一歩でした。
 連載当初はドキドキしながら書き、だんだん図々しくなって、ついには本のオビにまで大書してあることですが、はっきり言って漱石は小説がヘタでした(笑)。キャリアの後期に書かれた『彼岸過迄』『行人』『道草』なんて、健康上の問題があったにしろ、いま新人賞に応募したら下読み段階でペケでしょう。じゃあそれより前の作品が素晴らしいかと言えばやはりそれぞれに問題点がある。
 漱石が凄い作家であり、日本文学の大恩人なのは確かですが、その凄さのありかは「小説が上手い」ことではない。それを踏まえておいた方が漱石は読みやすいと思います。前置きが長くなりましたが、藤原さんは漱石をどのように読まれていましたか。

藤原 私の漱石体験は、中学一年生の頃の『坊っちゃん』からです。一行目の「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」を読んだだけで笑い転げ、とにかく可笑しくて最後まで読み通すのにずいぶん時間がかかりました。ところが次に読んだ『吾輩は猫である』は登場するインテリのひけらかす知識や語句が全然わからず不愉快になり、高校生で手にした『草枕』は難しい漢字と文体に馴染めず最初の二、三ページで沈没。二十代の頃はガールフレンドが感動したという『行人』を彼女に好かれたい一心で読みましたが、生まれてから読んだ小説で一番つまらなかった(笑)。
 このように、めっぽう面白いものから一番つまらないものまで、若い時は漱石に様々な感想を持っていました。

阿刀田 よくわかります。「猫」などはあまりにも有名ですが、インテリが寄ってたかって自慢話をするだけのストーリーですから、じつは若い人が一番嫌うタイプの作品かもしれない。

藤原 ただ、漱石の印象というのは読んだ時期によって違ってくると思います。昨日、私はこの対談のために高校生の頃に大好きだった『こころ』を読み返してみました。高校生の吉永小百合が一番好きな本に挙げていたので読んでみたら私も感動したという思い出の小説で、吉永小百合との間に通じ合う何かがあると確信したものです。

阿刀田 藤原さんらしい(笑)。

漱石はMe Tooを知らない

藤原 ところが、今回読んだらちょっとアラが見えました。『こころ』は「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部構成ですが、このうち「両親と私」があまりに冗長。しかも話が収束していません。
 しかし新しい発見もあって、先生の死につながる明治天皇の死、乃木大将の死、つまり明治精神の死による衝撃が当時、漱石の中に大きくあった、という高校時代には想像もしなかった事実が見えてきました。『こころ』は乃木大将が自決した一年半後に書き始められたわけですが、漱石は江戸から続く情緒とか倫理、道徳、あるいは寄席、浄瑠璃といった文化芸能が文明開化の名の下にないがしろにされていることに相当な葛藤を抱えていたんだろうと、大人になった今読むことで感じ取れたわけです。

阿刀田 『こころ』は私も学生時代に深い感銘を受け、一番好きな小説はと問われたらこれを答えようと思ったものでした。そしてやはり年齢をとってからは少し見方が変わってきた。ヒントは家内が与えてくれたんですが、これは女性軽視小説じゃないでしょうか。

藤原 御本にもそのように書かれていましたね。

阿刀田 ええ。つまり「先生」は自分の決定的な秘密を当事者の一人である奥さんにまず打ち明けるべきなのに、「女に難しい話をするのは気の毒だ」などと話さないでおいて、鎌倉で偶然会った青年にはすべてを伝え、最後は奥さんを残して先に死んでしまう。奥さんにしてみればたまったものじゃありません。
 また『門』は友人が親しくしていた女性・お米(よね)を奪って彼女と結婚した宗助が、その後ろめたさを背負い続ける小説です。しかし『それから』の代助のように人妻を奪ったのならともかく、未婚のお米と一緒になって何がいけないのか。しかも友人は初めにお米を自分の妹だと紹介していたのです。お米自身だって当然自分が「妹」ではないとわかっている。その上で宗助を選んでいるのだから、宗助は自信を持ったっていい。なのにそうならないのは、宗助が女は男の付属物であると考えているからです。言い換えればお米の意思を軽視している。
 漱石は立派なヒューマニストでしたし、女性をことさらに下に見たりすることはなかったと思いますけれど、明治に生きる以上、作品の中に女性軽視は抜き難くある。その点で二十一世紀においては彼を国民作家と呼び得ないというのが私の意見です。いかがですか?

藤原 私は女性軽視、大賛成ですね(笑)。現代の価値観で過去を評価するのはどうでしょうか。私などはむしろ、漱石を通して江戸時代生まれの人の倫理観が現代の我々の目に見えるのは非常に面白いし、そうした意味では偏見に満ちたところが彼のすばらしさではないでしょうか。

阿刀田 それもよくわかります。あの時代の人に男女同権だとかMe Tooだとか(笑)、考えるべきだったとは言いません。ただ、面白さとは別に現代の目できちんと指摘はしておくべきだというのが私の立場です。

藤原 フェミニストの阿刀田さんと女たらしの私の大きな違いが表れました。

新潮社 波
2018年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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