樽の中から世界を覗く少女の追想と自ら生み出した世界

レビュー

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樽とタタン = Tarte Tatin

『樽とタタン = Tarte Tatin』

著者
中島, 京子, 1964-
出版社
新潮社
ISBN
9784103513513
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

樽の中から世界を覗く少女の追想と自ら生み出した世界

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 その喫茶店には、赤い大きな樽があった。こどもの〈私〉は樽の中に入り、じっとしているのが最も落ち着く時間の過ごし方だった。そんな〈私〉に、店の常連客だった老小説家が、タタンというあだなをつける。

 おとなになった〈私〉が、三歳から十二歳まで住んでいた小さな町の、小さな喫茶店のことを追想していく。中島京子『樽とタタン』は、そうした形式の連作短篇集だ。

 こどもだった語り手は、店にやってくる人々の会話を聞き、おとなたちの間で何が起きているかを少しだけ知る。居場所にしていた樽の横にはこどもが出入りできるくらいの穴が空いていたが、それは〈私〉が世界を見るための覗き窓でもあったのだ。自分の内奥を見つめずにはいられない人の中にはどのような屈託があるのか(「町内会の草野球チーム」)、二度とそこには戻れない思い出の地がある者がどれほどの淋しさを抱えているか(「バヤイの孤独」)。同じ場所にいるのに実は違う世界で生きている人々に〈私〉は出会い、未知なる心の動きに触れていく。

「ひどく長い年月が経ってしまったので、記憶は多少、過去をゆがめているようにも思われる」とおとなの〈私〉は警戒してみせる。こどもの自分が見聞きしたことをできるだけ誠実に再現しようとはするが、語られた時点でそれは、本来の出来事とは違ったものになっているかもしれないのだ。自分よりも幼い子が喫茶店に預けられ、そのトックンという少年が父親について話すのを聞くという一篇「カニと怪獣と青い目のボール」では、事実からずれていく語りの奇妙さを味わうことができる。

 ページを繰るうちに読者は、『樽とタタン』が物語るという行為自体についての小説でもあると悟るだろう。最終話「さもなきゃ死ぬかどっちか」で〈私〉は、ついに自身の語りが生み出した世界と対面することになる。我が身から分かれ、独立した存在となった、物語という生きものと。

新潮社 週刊新潮
2018年3月15日花見月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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