【追悼・西部邁】「あいつは当然死んだ」立川談四楼

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保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱

『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱』

著者
西部 邁 [著]
出版社
講談社
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784062884556
発売日
2017/12/14
価格
924円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「あいつは当然死んだ」

[レビュアー] 立川談四楼(落語家)


西部邁

「おまえ、西部邁を知ってるか?」談志が唐突に訊いてきた。「『朝まで生テレビ』という番組を通じてですが」そう答えると、「そうか、知られた人なんだな。話してみると理屈っぽくて面白えンだ。で今度、番組を一緒にやることになった」

 西部先生は初対面の様子を次のように語った。

「政治家のパーティーに義理で出たら、これが下らないこと夥(おびただ)しい。とっとと帰ることにしたら、出口のところにもう一人退屈してる人がいてね、それが談志さんだったんだ。西部邁と申しますと挨拶すると、おう、あんたのこと知ってるよと気さくなんだ。一献献じたくと申し出るといいねえとなり、人形町で飲んだのが始まりなのさ。質問が上手くてねえ、ずいぶん喋らされたなあ」

 こうしたことがMXテレビの共演につながるのだが、二人の共通の話題は他にもあり、それは妻の病のことだった。共に人後に落ちぬ愛妻家、談志は妻が通院しやすいように病院近くに引っ越したぐらいで、西部先生はあるとき、動けるうちにと愛妻を講演旅行に伴ったという。

 先生はそれをニコニコと話した。

「僕の講演と談志さんの落語という二本立さ。なかなか豪勢だろう。確か九州だった。で談志さんが控え室で妻に言うんだ。いま席を前の真ん中に用意したから、奥さんそこへ座ってください。他にも客がいるから奥さんばっかり見るわけにはいかないけど、今日の落語は奥さんに捧げますとね。こういうことを嫌味なくサラッと言える人は少いよ。僕は心遣いに胸が詰まってしまってね……」

 結局、西部先生は奥さんを見送り、談志夫人は快癒し、当人が逝ってしまった。西部先生は談志の晩年を彩ってくれた人だ。ささやかな恩返しのつもりの書評を先生は大変に喜んでくれ、今にして思えば喜んだフリをしてくれたのだが、MXテレビの対談に呼ばれ、ギャラをいただき、のみならず荒木町の寿司屋に招いてくれたのだ。そして新宿へ流れた。

 成城のマンションに伺ったこともある。話題は多岐に及び、大いに飲んだ。同席した人によると、先生は「我が家であんな大酒を飲んだ男は初めてだ」と笑って言ったそうな。そりゃないですよ先生、私が帰ろうとした時、ドンと一升瓶を置いたのは先生じゃありませんか。

 忘年会の司会は思い出深い。

「僕は雑誌を発行しててね、その慰労の小さな会だったのさ。ところが参加したいって人がどんどん増えて、中には呼んでない人まで来そうで、捌ききれないんだ」そう頼まれたわけだが「右も左も来るんだ」とのひと言は刺激的だった。

 司会には黒紋付羽織袴の正装で臨んだ。シーズンで忘年会を掛け持ちする人もいて、挨拶の順番が狂う事態も予想される。その折にはこの正装に免じてお許しをとのつもりだった。会の半ば頃フラリと鳩山由紀夫さんが現れた。確か出席者リストには載っていなかった。つまり呼んでない人がやって来たのだ。

 場内がざわつき、右方面から「あいつに挨拶させるつもりじゃないだろうな」との強い視線が飛んでくる。しかし元総理だ。私は独断で紹介した。鳩山さんは「えっ、いいの」と驚きつつ、嬉しそうに若干の野次を浴びつつスピーチした。しばしして先生が傍らに来て「あれで正解」と笑って去った。『保守の真髄』(講談社現代新書)を週刊新潮で書評した。先生は頸椎からくる指の痛みでペンが持てなかった。先生の口述を、いつも秘書のごとく支えるお嬢さんが筆記するという本だった。口述なのに文体に変化はなく、いつもの西部節を堪能したが、最終章にギクリとした。「また短銃の入手に失敗し」と記す個所に出くわしたのだ。先生の謦咳に触れた人や著書に接した人は先生の自殺願望を知ることになる。ごく普通にそのことを喋ったし、書いているからだ。知ってはいてもやはりギクリとし、そして先生はその書評の載った週刊誌がまだ店頭にある週に突如としてこの世を去った。

 死後、ある記者にこう語っていたと聞いた。

「オレの最後の願望は『当然死』だね。ある年齢で、ある病状を抱え、いろいろとやり尽くした。警察に若干の厄介をかけたようだがどう考えてもあいつは当然死んだと人は言うだろうね(笑)」

 凄いなあ、本当にそのように死んだのだ。「何とか止める手だてはなかったものだろうか」と、残された者たちは詮ないことを言うが、すぐに笑顔でいなされてしまうことを理解する。「キミたちは僕が病院死と生命至上主義を否定していることを知っているはずだが」と。先生はもういない。忘れがたい思い出と膨大な著書が遺った。

新潮社 波
2018年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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