数十分間に泥の中から現れる マジカルな数々のエピソード
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
プルーストは紅茶に浸したマドレーヌから幼き日々の記憶を呼びさましたけれど、第一五八回芥川賞を受賞した石井遊佳は、泥の中から過去を引っ張り出してくる。
舞台はインドのチェンナイ。ダメな彼氏のせいで多重債務者になり、その返済のため、かの地のIT企業で社員に日本語を教える仕事に就いた〈私〉が語り手の一人称小説だ。着任三ヶ月半で、百年に一度の大洪水によってアダイヤール川が氾濫。住んでいるアパートと川をはさんで対岸にある会社に行くために、水が引いた後の橋を渡る―その数十分間が、この小説に流れる現在進行形の時間になっている。
野次馬で大混雑状態の橋を覆った泥の中からは、〈一世紀にわたって川に抱きしめられたゴミが、あるいはその他の有象無象がいま陽の目を見たという〉わけで、七年間も行方不明だった五歳児が現れて母親に叱られたり、「おまえなあ、いくら寝るの趣味ったってよ」と、まだ二十代の若者がすでに老人になっている親友二人に引っぱり出されたりする始末。
人混みの中、日本語クラスで一番優秀かつ最も扱いにくい生徒デーヴァラージと遭遇した〈私〉もまた、自分や彼にまつわる物を泥の中に見つけ、それを契機に二人の過去が物語られていくことになる。元夫との別れのいきさつを象徴する〈サントリー山崎12年〉。無口だった母を思い出すきっかけとなる〈小さな、古ぼけたガラスケースのようなもの〉。貧しい生まれ育ちのデーヴァラージの、子供時代にまつわる〈大阪万博のメモリアルコイン〉。
〈あったかもしれない人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ〉。橋を渡り終えるまでの、わずか数十分の間に泥の中から現れる、マジカルなエピソードの数々が魅力的。そこここにちりばめられた虚実混淆のインドあるあるネタがかもす笑いも絶品だ。