これほど過酷で、人間的な 梯久美子――『挑戦者たち 男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』田村明子

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これほど過酷で、人間的な

[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)

「ぼくはこれまでアメリカンフットボールも、NBAも撮影してきた。だけれど、フィギュアスケーターほど、強靭なアスリートはほかに知りません」。金メダルを獲得した羽生結弦の涙にもらい泣きしながら、私はABCのTVカメラマン、ジョン・ボイドの言葉を思い出していた。「まさにその通り!」と思いながら。

 ただしこの言葉、私が直接聞いたわけではない。2007年に刊行された田村明子さんの著書『氷上の光と影』で読んだのだ。田村さんは冬季オリンピックごとに新潮社からフィギュアスケートに関する本を刊行していて、『氷上の光と影』はその最初の本。このたび刊行された『挑戦者たち 男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』は4冊目になる。

 札幌オリンピックでジャネット・リンの可憐さに魅せられて以来のフィギュアファン(当時、真駒内のスケート会場のすぐ隣にある小学校に通っていた)である私は、冬季五輪の年が明けると、田村さんのこれまでの著書を取り出して読み返すことにしている。そこに描かれている知られざるドラマ、そして栄光だけではないスケーターたちの人生をおさらいしてから観戦することで、感動が何倍にも増すのである。思えば技の見方から採点の仕組み、コーチと選手との関係、振付師の役割、国際大会の裏側なども、彼女の本から学んできた。

 羽生の連覇、そして宇野昌磨との金銀独占の興奮も冷めやらぬ中で刊行された『挑戦者たち』は、テーマを男子フィギュアに絞り、田村さんならではの取材力で、テレビや新聞・雑誌ではわからないスケーターたちの素顔を垣間見せてくれる。読みながら、「画面に映らない現場は、あのときこうなっていたのか!」「え? あの選手がこんなことを言ったの」と、何度驚き、胸が熱くなったかわからない。

 よくある宣伝文句で言えば「秘話満載」ということになるのだが、そこには長年フィギュアの取材に携わり、選手や監督・コーチたちと信頼関係を築いてきた著者ならではの競技への深い理解と選手たちへの愛情があり、決して興味本位に陥ることのない、第一級のスポーツノンフィクションになっている。

 彼女は25年におよぶフィギュアスケートの取材キャリアを持ち、ソルトレイクシティ、トリノ、バンクーバー、ソチ、そして平昌と、すべての冬季五輪を現地取材してきた。フィギュアスケートのファンなら知らない人はいない、筋金入りの国際スポーツジャーナリストなのである。ニューヨーク在住のバイリンガルであり、海外の大会における日本人選手の会見通訳も数多く担当している(何とすべてボランティアだという)。

 本書では、「新4回転時代」を闘い抜いた羽生、宇野、ハビエル・フェルナンデス、ネイサン・チェン、パトリック・チャンたちの進化の過程を、単独インタビューや彼女が通訳を務めた国際大会の記者会見を織り交ぜて伝えている。また、現役の選手だけではなく、66年前にオリンピック連覇を成し遂げたディック・バトン、エフゲニー・プルシェンコ、かつて羽生を指導した都築章一郎氏にもインタビューしていて、男子フィギュアの歴史をたどることのできる内容になっている(個人的には、アイスショー会場の警備員室で、古びた蛍光灯の下、立ったままプルシェンコにインタビューする場面が忘れがたい)。

 オリンピック本番を控えて韓国入りした羽生が、昨年11月の故障以来、初めて人前でリンクに上った公式練習後の記者会見で、通訳を務めたのも彼女である。本書に記されたそのときのエピソードのひとつひとつに、ああ、これが羽生という人なのかと、それまでにない新鮮な印象を持った。

 読了して思ったのは、フィギュアスケートほど過酷な、それでいて人間的なスポーツはないということだ。選手はみな孤独だが、こうしてひと続きの流れの中で見れば、ひとりひとりの選手が、より美しく強いスケートを生むための礎となってきたことがわかる。シーズンごとにリンクに刻まれる歴史の上を、彼らは生きているのだ。

新潮社 波
2018年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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