『酸っぱいブドウ/はりねずみ』
- 著者
- ザカリーヤー・ターミル [著]/柳谷あゆみ [訳]
- 出版社
- 白水社
- ISBN
- 9784560090558
- 発売日
- 2018/02/24
- 価格
- 2,530円(税込)
子どもの頃の自分を発見する 現代アラブのユーモア異色作
[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)
僕らの中には、子ども時代の自分が生きている。本書を読むと、普段は黙っているその子が饒舌に語り始める。中篇「はりねずみ」の主人公は六歳の少年だ。彼は妖精とも、オレンジの樹とも、家の壁とも言葉を交わせる。だからこう思う。「オレンジの樹は眠っている。僕とは違って、あれは眠るとき心臓も眠るに違いない」。だが家族はそのことをわかってくれない。妖精と話したと母親に言えば、ちゃんとコーランを読み上げて清めたんだからこの家にはいない、と否定され、将来は魚の言葉を話せるようになるつもりだ、と告げても笑われてしまう。
ならばただの夢見がちな少年なのか。しかし彼は大人の世界と少しずつ触れ合い始めている。近所の老女に剣を持たせてもらうと、戦争で自分が人を殺すところを想像して恐怖を感じ、お兄ちゃんが裸の女の人の写真が載った雑誌を隠しているのを知ると、そんなもの公衆浴場で見られるのに、と思う。ガゼルが大好きなのに、気づけば自分も、おばあちゃんのガゼル料理を美味しく食べている。生きることは何て不可解で残酷なんだろう。僕らが心の底に押し込めている疑問が鮮やかに蘇る。
一九三一年シリアに生まれたターミルは、アラビア語圏を代表する児童文学者だ。十三歳で生活のために学校を辞めてから、彼は濫読で今の自分を作り上げた。彼の作品は、単純な子ども向けではない。社会の貧困や性差別などについて彼は寓話的に語っていく。短篇集「酸っぱいブドウ」では大人たちも不思議な体験をする。英雄サラディンの声を聞き、歌いながら空を飛び、本から出てきた人々と話すのだ。
ターミルにとって大人とは、単に大きくなっただけの子どもなのだろう。だからこそ、彼らは激しく愛し、激しく憎む。その暴力や裏切りを裁くことなしに、ターミルは愛情の籠もった目で受けとめている。児童文学は社会を描き出すのにも有効なことに気づいた。