『雪の階』
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奥泉光の新たな頂点のひとつ 読み応えたっぷりの大長編
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
ずばり、奥泉光の新たな代表作にして、頂点のひとつである。
ある男女の死と二・二六事件の、驚天動地の真相。本作は、しろうと探偵たちが事件を追うミステリーであり、日本で皇道派将校が永田鉄山を斬殺した「相沢事件」でざわつき、次第に戦争へと傾いていく昭和十年頃を舞台にした政治サスペンスであり、国際的スパイ小説であり、かつ正統派ラブ・ストーリーでもあるという、奇跡のような大長編。本欄では詳述できないが、武田泰淳などの近代文学作品や、超有名推理小説へのオマージュあり、パロディあり、さらに作者の愛するクラシック音楽も妖しく要所を彩っていて、読みごたえたっぷりだ。
さて、物語の幕開けは侯爵邸での高名ドイツ人ピアニストの演奏会。その後、青木ヶ原の樹海で、大学教授の娘「宇田川寿子」と、陸軍中尉の死体が発見され、心中とみなされる。寿子の父は天皇機関説の主唱者であり、かたや中尉は華族制度廃止を唱える過激な皇道派だ。寿子の親友で天才的碁打ちの伯爵家令嬢「笹宮惟佐子」は複数の点から心中説を疑い、自ら捜査に乗り出す。彼女を助けるのが幼少時の“おあいてさん(遊び相手)”の「牧村千代子」。頭脳明晰で推理を担う惟佐子と、おっちょこちょいだが行動力抜群の千代子という古典的タッグが、巨悪を背景にした事件にどう挑んでいくか。ドイツでのナチスの台頭とユダヤ人迫害、そこにからむマッドな優生論者や天皇をめぐる過激思想、未来を幻視するというぶっ飛んだ寺の庵主らの暗躍、華族や議員たちのこすからい駆け引き……。
最大の読みどころの一つは、作者が初めて採用した「三人称多元視点文体」だ。奥泉光はこれまで様々な形で、この文体へのある意味、アンチテーゼ、または鮮やかな解体を提示してきた。その書き手が本作でついに、日本語三人称文体の最も洗練された“回答例”を叩きつけてきたのだ。これを読まずにどうしますか!