【今野敏の軌跡~作家生活40周年特別企画~】プライベート音楽工房「78Label」特集

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【今野敏の軌跡~作家生活40周年特別企画~】プライベート音楽工房「78Label」特集――出版社横断小説誌ジャック

[文] 角川春樹事務所

今野敏さんは上智大学在学中に作家デビューし、卒業後、東芝EMIに就職。ディレクター、次いで宣伝と3年間勤務した後、執筆業に専念します。その時代の思い出や、現在、自らディレクターとして主宰している「78Label」の音楽活動に関して、当時からの仕事仲間をお呼びし、お話ししていただきました。

左から河田為雄、引田和幸、今野敏、佐久間雅一
左から河田為雄、引田和幸、今野敏、佐久間雅一

 ***

――今日は今野さんの東芝EMI(現ユニバーサルミュージック&EMIアーティスツ合同会社)時代の同僚で、現在は今野さんのプライベート音楽工房、78レーベルでご一緒しているみなさんにお集まりいただきました。今野さんは東芝EMIでどんなお仕事をされていたんですか。

今野敏(以下、今野) 入社して最初の一年間は制作部でディレクター。そのあとの一年半は宣伝をやっていました。78レーベルのアート・ディレクションをしている引田は僕と同期入社なんですよ。

引田和幸(以下、引田) 1979年入社です。制作部門で採用されたのは今野と僕だけ。それ以来のつきあいです。東芝EMIではディレクターをやっていましたが、その後ファンハウスに移ってからCDジャケットなどのアート・ディレクションをやるようになって、その後独立しました。

佐久間雅一(以下、佐久間) 僕は今野さん、引田さんの一年後輩です。今野さんとご一緒していたときは宣伝マンでした。今野さんは三年でお辞めになりましたけど、僕と引田さんは部門ごと独立してできたファンハウスというレコード会社に移籍しました。ファンハウスに移ってから制作ディレクターになり、いまは音楽の制作とマネジメントの会社をやっています。

河田為雄(以下、河田) 僕はみなさんより少し上で、東芝EMIに入ったのは1971年。録音エンジニアです。今野さんとは社内の新人オーディションでたまたま一緒になったんでしたよね。そのときに僕が出した音を気に入っていただいて、今野さんが手がけられていたSPEEDWAYの二枚目のアルバムの録音を担当しました。ロックウェルというスタジオに合宿録音をしに行ったことを覚えています。

今野 小室(哲哉)と木根(尚登)、宇都宮(隆)たちと一緒に合宿してました。SPEED WAYはTM NETWORKの前身のロックバンドなんです。

河田 合宿では、夜に肝試しをしましたねえ(笑)。

今野 やりました、やりました。

河田 東芝EMIはディレクターとエンジニアがペア制になっていて、ほかの組み合わせでは普通はできないんです。変わったのは今野さんから。SPEEDWAYはすでにファーストアルバムが出ていて二枚目でエンジニアが変わるというのは掟破りだったんです。

今野 一作目は僕の師匠が組んでいたエンジニアだったんです。いい音を出す方なんだけどどちらかというとフォークの流れで、ロックの音じゃなかった。それでどうしよう、と悩んでいたときにオーディションで河田さんが出した音を聴いて、これだ! と録音部に直談判に行ったんです。ミキサーを替えてくれ、と。入って一年目のディレクターがそんなことを言い出すなんて、いま考えると大変なことですよ。そのときはわからないからやれたけど。

――今野さんは大学在学中に小説家としてデビューされています。デビュー作の「怪物が街にやってくる」はジャズが題材。レコード会社に入社されたのは音楽がお好きだったからですか。

ギターを手にする今野敏
ギターを手にする今野敏

今野 若気の至りで音楽が好きだと思い込んでいたんですね。音楽がなければ生きていけないと。入ってみたら、まずは先輩ディレクターの助手。ようするに丁稚みたいなもので、荷物を運ばされたりコピーを取りに行ったり。アリスのディレクターだった橋場正敏さんのサブでした。アリスは破竹の勢いだった頃で、忙しかった。ところが六カ月後に突然、その橋場さんが辞めちゃったんですよ。「今野、あと頼むなあ」と言って。後に残されて途方に暮れつつ、橋場さんが置いていってくれたアーティストを何人かやって。そのなかの一つがSPEEDWAY。その頃は、引田とか佐久間くんとは別の課だったね。

佐久間 よく一緒に昼飯を食いに行ってましたね。

引田 ちょうど我々三人が住んでいたのが上馬交差点の近くで、休みの日も暇だったら誘って遊びに行ったりしていましたね。

今野 まだ全員独身で、引田は彼女がいたんだけど、お構いなしに休日に電話して「所在ないよ~」と呼び出してました。

――今野さんが作家デビューを果たしていたことは知られていたんですか。

佐久間 みんな知っていましたね。今野さんは会社にいた頃も音楽雑誌に小説を連載していたんですよ。

今野 「ビッグミュージック」って雑誌にね。

佐久間 そうそう。『インフィニティ』(のちに改題。『フェイク 疑惑』)という音楽業界を舞台にしたミステリ。みんなが会社帰りに飲みに行こうよ、というときでも、今野さんはこれから原稿書くからとお帰りになっていたことをよく覚えています。それで結局、三年でお辞めになってしまった。

今野 実は入社する前から三年で辞めようと思っていたんですよ。小説家になりたかったから。計画通り三年で辞めちゃった。

佐久間 ちょうどタイミングもよかったんですよね。東芝EMIの第二制作部、Expressレーベルというのがあって、SPEEDWAYもそうだったし、オフコースや寺尾聰さんがいた。それをそのまま子会社化するということになって、移る人、残る人さまざまだった。

今野 どさくさにまぎれて、という感じで辞めました(笑)。仕事は楽しかったんですよ。オフコースとか、好きなバンドがいましたから。我々の青春時代の歌ですよね。甲斐バンド、チューリップ、オフコース……。東芝EMIのレコードばかり聴いていましたからね。

佐久間 『インフィニティ』に出てくるアーティストが武道館で五日間連続公演をする。あれなんかまさにオフコースですよね。

今野 そうそう。オフコースの武道館の十日間連続公演。

佐久間 リハの様子を間近で見ていたから、参考にされているんだろうなと思いました。

――東芝EMIを退社後、今野さんと音楽との関わりはどのようなものでしたか。

今野 学生時代のようなのめり込み方はしなくなりましたね。ジャズのライブには聴きに出かけていましたね。それで、辞めてしばらくたったらまたやりたくなったわけですよね。

――それが現在主宰されている音楽工房、78レーベルなんですね。2013年3月発売の運天那美の「ONE DAY」が第一弾です。

78LabelでリリースしたCDはこれまで25作品
78LabelでリリースしたCDはこれまで25作品

今野 きっかけは河田さんなんですよ。ジャズクラブでばったり会った。

河田 ちょうど定年したばかりでしたね。僕は六〇歳の定年まで東芝EMIにいたんですよ。

今野 久々にお会いして嬉しかったのと、お酒も入っていたから「じゃあ、何かまたやりますか」と。僕ももう一回音をつくりたいな、と思っていたから。それも河田さんとやりたかったんです。78レーベルという名前は、レーベルをやろうと具体的なことを決めたのが銀座の「78」というお店だったから。その店のママの誕生年が78年で、七転び八起きという意味もかけているらしい。僕の作家デビューもちょうど78年。アーティスト第一号の運天那美は、実は角川春樹事務所の担当編集者なんだけど、彼女も78年生まれ。私の空手の弟子で二段、棒術三段でもあって、そちらのほうが編集者としてのつきあいよりも先。しかしてその実体は、沖縄アクターズスクール出身で、安室奈美恵、MAXと同期。この逸材を逃してはなるものか、と歌ってもらったわけです。

佐久間 それからいろんなアーティストが参加して今まで続いてきましたね。

今野 楽しいんですよ。売れなくていいから。売らなきゃいけないってプレッシャーでものをつくるとつまらないんですよ。売れなくてもいいから楽しいのをやろうよと。

引田 そこまではっきり「売れない」と言われると辛い(笑)。

佐久間 売れたのもあるんですよ。ドラマ『ハンチョウ』のサウンドトラック。レコード会社がどこも出さなかったんですよ。78で出したらあっという間に売り切れましたから。

今野 売れるにこしたことないけど、まずは楽しいこと。録りたいものを録る。最近はジャズが多いんだけど、ジャズをやろうと言い出したのは引田なんですよ。今野はジャズが好きなんだから、ジャズをやればいいじゃん、と。

引田 若い頃にジャズ談義をした覚えはとくにないんだけど。今野のデビュー作もジャズだったし。そういえば、今野とクルマで甲府あたりまで森山威男さんを聴きに行ったね。

今野 行った。俺が運転して。森山威男と山下洋輔が久しぶりにやったんですよ、甲府で。

引田 日本のフリージャズの代表格といえば山下洋輔トリオ。今野が山下洋輔トリオのドラマーだった森山威男がえらい好きなんだというのは聞いていた。熱弁を聞いてからデビュー作やその後の「奏者水滸伝」シリーズを読むと、ジャズの演奏シーンは、完全に森山威男のドラミングなんだよね(笑)。

今野 ジャズは格闘技だと思って聴いていたからね。とくに山下さんや森山さんを聴いてると。あの人たちは小節数が決まっているわけではないので、ドラマーとピアニストが顔を見ながらずーっとバトルをやっている。

河田 それが見事に描写されているから、読んでいて面白いんだよね。

引田 僕もジャズが好きだったから、今野が自分のレーベルをやるならジャズをやれば、と言ったんだと思います。

今野 また、ジャズのレコーディングが楽しいんですよ。演奏自体が楽しいですし、奏者が上手いから失敗がないんです。後でどのテイクがいいか選ぶのに困るくらいどれもいい。

――78レーベルの最新作は?

今野敏が東芝EMIで勤務していた当時からの仲間
今野敏が東芝EMIで勤務していた当時からの仲間

今野 4月25日に僕の大好きなジャズ・ベーシスト、中村健吾の『Scandinavia』が出ます。スウェーデンからピアニストのカール・オルジェを招いたアルバムです。ライナーノーツを書いたのでそちらもぜひお読み下さい。仲間たちと楽しんでレーベルをやっていることがよくわかると思います(笑)。

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インタビュー=タカザワケンジ/写真=坂口トモユキ

角川春樹事務所 ランティエ
2018年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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