『収容所のプルースト』
- 著者
- ジョゼフ・チャプスキ [著]/岩津 航 [訳]
- 出版社
- 共和国
- ジャンル
- 文学/外国文学、その他
- ISBN
- 9784907986421
- 発売日
- 2018/01/27
- 価格
- 2,750円(税込)
書籍情報:openBD
捕虜仲間に語ったフランス文学講義
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
収容所とプルースト。タイトルには、親和性のない二つの単語が並んでいる。二つを結び付けたのは、自由を奪われた場所でも人間らしくありたいと願う気持ちである。歴史に埋もれていた事実の美しさが胸をうつ。本書は、第二次世界大戦中、ソ連の捕虜になり収容所に送られた元ポーランド人将校が、捕虜仲間に語ったフランス文学講義の内容を、受講者のメモなどをもとに解放後、再現したものである。
語り手のチャプスキは、一九三九年からスタロビエルスクという収容所で過ごし、四〇年四月に北のグリャーゾヴェツ収容所に移された。この時、他の収容所の捕虜も併合され移送されたが、一万五千人のうち帰還できたのはグリャーゾヴェツに移された約四百人だった。スタロビエルスク収容所の四千人のうち生き残ったのはチャプスキを含む七十九人だけで、かき消すようにいなくなった残りの多くの捕虜は、のちにソ連による「カティンの森」の虐殺の犠牲になったとわかる。
「精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐため」始まった講義は、「反革命的」と管理者から処分の対象になることもあったが、グリャーゾヴェツ収容所に移されてからは、テクストの検閲を事前に受ける条件で正式に認められるようになった。
捕虜の中には書物の歴史を語れる人もいれば、移民や建築の歴史を講義する人もいた。画家で、フランス留学経験のあるチャプスキは、フランスとポーランドの絵画について、またフランス文学について講義を行った。零下四十五度にもなる寒さの中での重労働のあと、疲れきった顔で耳を傾ける仲間が彼の周りにはいた。
『失われた時を求めて』のテクストは手元になかった。記憶だけを頼りに、彼は講義を続ける。プルーストの作品を「事実そのものよりも、むしろ事実から彼が受けた衝撃によって呼び起こされた彼自身の思考の歴史」だと考えるチャプスキは、『失われた時を求めて』から受けた衝撃によって呼び起こされたチャプスキ自身の思考の歴史としてプルーストを語るのである。
もちろん記憶違いや誤読もある。だが彼の講義は、プルーストを読んだ人間にも読んでいない人間にも、きわめて魅力的な形でその作品世界をありありと現前させる。自由と尊厳を奪われた捕虜にとって、プルーストが描く世界のきらびやかさは、ここではない別の世界が確かに存在することを彼らにつよく思い起こさせただろう。そう思える限り、彼らはまだ外部とつながって生きられるのである。
講義録はどのように残されたのか。なぜ彼らは殺されなかったのか。読後に不明点は残るが、そのことも含めて遠い国の歴史に新たな興味がつながっていく。