それじゃ、そう言っている私は誰なんだ? 精神科医・春日武彦――『私はすでに死んでいる―ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳―』

レビュー

7
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

『私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』

著者
アニル・アナンサスワーミー [著]/藤井 留美 [訳]/春日 武彦 [解説]
出版社
紀伊國屋書店
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784314011563
発売日
2018/02/15
価格
2,376円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

それじゃ、そう言っている私は誰なんだ?

[レビュアー] 春日武彦(精神科医)

 本書を評した『サイエンス』誌は、オリヴァー・サックスの著作を彷彿させると述べているらしい。もちろん褒め言葉である。あの『妻を帽子とまちがえた男』のサックス先生と比肩し得る、と。

 なるほど、どちらの書き手も人間の脳と感覚器とが作り出した奇天烈な症状、信じ難い言動、奇妙きわまりない幻覚や妄想や錯誤といったものを、次々と披露してわたしたちを圧倒する。世界中の珍品コレクションを収集・披露して人気を博したロバート・リプリーではないが、まさに Believe It or Not である。ただし個人的な感想としては、サックス先生の文章にはどこか達観して淡泊な印象がある。それは彼が臨床医として悲惨なケースと散々向きあってきたからなのかもしれないし、自伝によれば坐骨神経痛の激しい痛みに苛(さいな)まれる七六歳になるまで人生で一度も自殺を考えたことがなかったという。そういった精神のありようがもたらしたものなのかもしれない。

 いっぽう本書の著者、サイエンスライターであるアニル・アナンサスワーミーには、彼なりの切実なトーンが伴っているように感じられる。あたかも珍しい症例コレクションのように見えながらも、自己とは何かという強迫的な問いが貫かれており、その答を追い求める過程で出会った幾多の不思議な症例が探検家の報告のように語られる。そして考察や推論が畳み掛けられていく。サックス先生とアナンサスワーミー氏、どちらが優れているかといった話ではない。それぞれアプローチの仕方に違いがあるわけで、双方を味わえるわたしたちは幸運である。

 この本で扱われるケースは、脳神経科学の領域から精神医学の領域まで多岐にわたる。重度のうつ病で出現することのあるコタール症候群(虚無妄想、不死妄想)、自己が失われる病としての認知症、自分の四肢を切断する願望に駆られた人たち(身体完全同一性障害)、自己主体感の喪失や幻聴の出現といった側面から迫った統合失調症、脳機能のトラブルとしての離人症、感覚統合の失敗としての自閉症、そして体外離脱やドッペルゲンガー、恍惚(こうこつ)てんかんといったものも俎上(そじょう)に載せられる。

 わたしがもっとも驚かされたのは、第3章に書かれている身体完全同一性障害である。自分の手足を異物と感じ、それを切断してしまいたいと願ってやまない人たちが実在するのだ。性同一性障害という呼称に準じて命名されたもので、アブノーマルな性的願望といった文脈ではなくアイデンティティそのものに関わる危機状況を示している。著者はそうした人物の一人デヴィッドと接触し、アジアの某国で外科医に二万ドルで片足を切断してもらう旅に同行するのだ。やはり自分も身体完全同一性障害であり、すでに手術で片足を切断しているパトリック(妻子あり。手術の仲介者)が、術前のデヴィッドにこんな助言をする場面がある。

 パトリックはデヴィッドに、最後にあることをやっておいたらどうかと提案した。手術が終わったら二度とできないことだ。それは脚を組むことだった。デヴィッドは言われたとおりにした。これから訪れる喪失を悼むかのように、私たちは黙りこんだ。

 このリアリティーはどうだ。そのさりげない切なさはどうか。デヴィッドは手術を終えて数ヵ月後に、著者へ「切断手術に後悔は微塵もない。人生で初めて、自分が完全にまとまった存在になれた」とメールを寄越したという。

 本書では、ノンフィクションとしての面白さないしは驚異のみならず、きわめて興味深い仮説が紹介される。そのひとつが「予測する脳」というものである。

(……)自己主体感は予測する脳の産物だ。予測がうまくいかないと真に迫った情動を感じられず、自分が他人に思える離人症性障害になることもわかった。さらに次章で触れるが、自己を形づくるほかの特性│自分が宿っているのはほかでもない自分の身体だという「私有感覚」――もまた、予測装置としての脳で説明できる可能性がある。こうなると自己も視覚などと同列になり、自己を一段上に位置づけてきたこれまでの学説が、空気が抜けた風船のように勢いがしぼんでいく。

 このように説明されて、今までとはまったく異なる視点を与えられた気分になったものだ。新鮮さどころか、小気味良さすら覚えてしまう。

 本書は自己とは何か、自己はなぜこうも曖昧なのかを「驚き」と「納得」の双方向から解き明かしてくれる。そしてその満足感は脳の予測が快く裏切られたからなのだ、と。

紀伊國屋書店 scripta
2018年春号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

  • このエントリーをはてなブックマークに追加