『ウマし』 伊藤比呂美著
[レビュアー] 尾崎真理子(読売新聞本社編集委員)
詩人で東京育ちの著者は、米国の西海岸に長く暮らす。アメリカ人の夫を看取(みと)り、娘も巣立った今は作る人から食べる人に。それも好きな物を好きなだけ。で、どうなったか。ビールと甘い物と旅三昧の、確信犯的な子ども返りだ。
めっぽう本能的で攻撃的な食にハマり、ウマさマズさをしがらみを忘れて語る、語る。
べたべたに甘い米国のドーナツに獣めいた生命力を感じたり、英国人の好きなマーマイト(ビール酵母からできた黒っぽいパン用のペースト)を「江戸むらさき」そっくりの存在だと思ったり。五十余項、感情に任せているようでも、そこは現代日本を代表する詩人。本質的な比較文化論を必ずどこかに含んでいる。
和食がユネスコの無形文化遺産になった時には、スシバーで無感情に成形されたそれを両面、しょうゆに浸しながらふと、感慨に襲われている。〈カリフォルニアに渡って来て幾星霜(いくせいそう)、日本語もご飯も忘れないが、後は忘れた。/あたしは誰だ。/あたしは、カリフォルニアロールである〉
親友に枝元なほみ、平松洋子。最強。こんな破格の食べ物本があったでしょうか。
中央公論新社 1400円