先祖たちはいかに生命を的確に捉えたか

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先祖たちはいかに生命を的確に捉えたか

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 岩波ジュニア新書はジュニア向けとされているが、ジュニアならぬシニア層にも結構ファンが多い。なんといっても記述がやさしく、分かりやすい。専門用語の無愛想な羅列が苦手なのは、ジュニア以上に、日々脳の老化を自覚するシニア層だからだ。

 本書は、人々の生活の中から生まれ、その後ずっと歴史を通じて語り継がれてきたことわざ・成句を用いて、生物学が対象とする多くの現象や理論、仮説などを、それこそ分かりやすく解説する。その際、驚くのは現代生物学が提示する生命理解と、古いことわざとが、枝葉末節の部分はともかく、大もとではピタリ一致することだ。先祖たちがいかに真摯なまなざしを生命現象に注ぎ、その姿を的確に捉えていたかが分かる。

 七章仕立ての約七十話。七十に近いことわざの最初は「犬は人につき、猫は家につく」。リーダーの下に群居する狼と共通祖先をもつ犬は、飼い主をリーダーだと思いなつく一方、単独行動するネコ科の猫には飼い主は単なる同居人にすぎず、こびる必要は全くない。その違いをこのことわざは言い当てている。

 こうしてさまざまな「動物の生態」を取り上げた後、「健康と医療」「体を守るしくみ」「老化とがん」などの医療分野や、「生物多様性と生殖・性」「遺伝か環境か」「生命の誕生と進化」といった生物学プロパーの問題へと展開する。つまり遺伝子論、地球と生命の共進化、生物多様性など現代生物学の最先端のテーマが、ことわざという最も素朴な知恵に照らして論じられてゆくのだ。

 人の世の無常を説く「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)は、細胞分裂の回数には限界があり細胞も無限には生きられないことを示している由。従来、細胞は好適な環境下で栄養を与えれば(つまり培養)、無限に生き続けるとされてきたが、実際にはがん細胞と生殖細胞をのぞく細胞は無限には分裂できないことが分かった。分裂のたびに短くなるテロメアと呼ばれる染色体末端の構造から、ヒトに換算するとちょうど百二十歳前後が限界値らしい。この数字は人口動態学など他の方法で解析しても、ほぼ妥当という。

「人間万事塞翁が馬」は、環境の厳しさがかえって進化の促しとなりうることを示している。地球史には過去三度(二十二億年、七億年、六億年前)、全体が氷に覆われてしまう寒冷期(全球凍結、スノーボールアース)があったとされるが、それらの直後に生命史の大進化が見られた。すなわち最初の全球凍結後に原核細胞生物から真核細胞生物への進化、二度目の凍結後に真核細胞生物から多細胞生物への進化である。背景には酸素濃度の高まりなどがあったようだが、苦境が生命を鍛えた面も確かにあるだろう。

新潮社 新潮45
2018年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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