『山よ奔れ』
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祝!福岡市文化賞受賞!! 特別寄稿「地元と文化と山笠と」
[レビュアー] 矢野隆(作家)
「福岡市役所の○○ですが」
見知らぬ番号から電話がかかってきて、相手がそう言った時、私は税金かなにかの確認かと思った。そういうことはすべて妻に任せているから、後で妻に電話させるという言葉を準備していた。しかし、穏やかな口調の男の人は、私の予想に反した言葉を続けたのである。
「福岡市文化賞に矢野さんが選ばれました」
ははぁ、これは候補になったのだな。
これまでも作品が、候補になったことがあるから、こういう電話は経験済みだ。
「あぁ解りました。それで選考はいつですか」
「いや、もう決まったんです」
「え?」
「賞をお受けくださいますか?」
恥ずかしい話なのだが、賞を受けるかどうかという確認の電話など初めてもらったから、私は大いに面喰(めんくら)ってしまった。そしてこの時、はじめて自分が福岡市文化賞なるものを受賞したということを理解したのである。
「もちろん喜んでお受けします」
そう答えると、電話の向こうの担当者の方は、安堵したように受賞式など様々な説明を始めた。
福岡市文化賞。
芸術を中心とした福岡市の文化向上発展に貢献し、特にその功績が顕著な個人・団体を表彰する賞であるらしい。
なにやら大層な賞である。
そんな賞を、私のような者が貰って良いのか。第一、作家としての十年間の活動のなかで、文化の向上や発展などということを考えたことが一度もない。ましてや生まれ育った福岡に、貢献しようと思って作品を書いたことなどなかった。ただ自分が楽しい、面白いと思った物を、ひとつひとつ作品にしていただけである。
受けたは良いが、どうにも気恥ずかしい。
落ち着かぬ想いのまま、私はなぜ選ばれたのかを真剣に考えてみた。
思い当たるのはただひとつ。
昨年『山よ奔(はし)れ』という作品を出版させていただいた。本誌で一年間連載し、それを一冊にまとめた作品である。
幕末の博多を舞台にした、福岡の代表的な祭りである“山笠(やまかさ)”に命をかける“のぼせもん”と呼ばれる町人たちの物語だ。
この企画が立ち上がったのは二年ほど前のこと。そのころ私は、デビューして八年。そろそろ生まれ育った福岡を舞台にした小説を書いてみないかと、担当の編集者に言われたのがきっかけだ。
私が主戦場とする時代歴史小説というジャンルは、地方との親和性が非常に高い。どこの土地にも、地元の有名人がいるものだ。織田信長(おだのぶなが)ならば名古屋。福岡にも黒田官兵衛(くろだかんべえ)や菅原道真(すがわらのみちざね)など、多くの有名人がいる。
歴史に名を残した人々を書くことになるので、必ずどこかの地方に根差した物語になる。
しかし今回、私はその手法を取らなかった。
せっかく生まれ故郷の福岡を舞台にして、はじめて作品を書くのだ。ならば、一人の人物に焦点を当てるのではなく、福岡という土地そのものを書きたい。
そう考えた私の頭に最初に浮かんだのが、山笠という祭りである。
まだ朝日の昇らぬうちから男たちが神輿(みこし)を担ぎ、博多の街を駆け抜ける祭りだ。博多の街を流(ながれ)という名で区分けし、この流がひとつのチームとなって神輿を担いで時間を競う。つまり神輿のタイムアタックである。神輿を担いで競争するなど、日本でも珍しい。まぁ昔は時間を競ってはいなかったのだが、それでも前の神輿を追い抜こうとするように、流が競っていたそうである。しかも現在の神輿より数倍大きい物を担いでだ。
山笠という祭りには、福岡人の気質が良く表れている。
敗けず嫌いで勝負が好き。開けっ広げで、良い意味でおバカ。そんな福岡という土地の雰囲気が描ければと思い、私は『山よ奔れ』という作品を書いた。
どうやらそれが、今回の受賞につながったらしい。
福岡の文化に貢献しようなどと、この作品を書いている時も思っていなかった。ただ、県外の方に、福岡という土地と、そこに住む人がどういうものなのかを知ってもらえれば、くらいのことは思っていた。
恐らく私はこれからも、福岡に貢献しようとは思わないだろう。しかし、私は福岡に生まれ、福岡に育った人間である。気風というものは、作品ににじみ出るものだ。
それがなんらかの形で、また福岡の力になれば良いと思う。
『山よ奔れ』を書いて本当に良かった。