「定年」とは、人の人生をどのように変えるシステムか

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定年入門

『定年入門』

著者
高橋 秀実 [著]
出版社
ポプラ社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784591158371
発売日
2018/03/14
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「定年」とは、人の人生をどのように変えるシステムか

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 担当の編集者から「定年なので退職します」と言われると、えっ!と思う。勤めた経験がないからひどく薮から棒な気がする。

 著者も同じだ。依頼があるごとに原稿を書き、定年を迎えることも備えることもなく生きてきた。定年とはどういうシステムなのか。人の人生をどのように変えるのか。疑問に思って、定年退職者に話を聞いてまわる。彼にとって定年が当たり前でないゆえに、着眼点や設問が新鮮。気がつくと私もつられて定年について考えていた。

 インタビューした男性の多くは「時間をいかにつぶすか」を語る。野鳥ファンの一人は、鳥を待つので時間がつぶれるのがいいと言う。鳥次第なので、つぶそうと努力する必要がない。

 たしかに、漠然と時間をやり過ごすより、「待ち」の状態に身を置いたほうが生きやすい。定年後の営みとは、会社にいれば自然と埋まっていた時間が、うまく埋まるように計らい、待つことだと言えそうだ。かくして会社にいたときは定年を待ち、退職後は死を待つ、と言うと虚しく聞こえるが、待っているものが先にあることが生命を沸き立たせる。もし死なない人生があれば、それこそが悲劇だろう。

 ひるがえって、家事や育児に追われてきた女性には「つぶす」という発想はないようだ。「自分の時間」と感じられる間を生み出し、積み重ねようと努める。「つぶす」のではなく、取り戻すのに近い。「待ち」の状態は同じでも、男女では意識の置き方が逆なのである。

 物書きには定年はないが〆切がある。先にそれが待っているから書けるのだ。眠りを「小さな死」と呼ぶ表現がフランス語にあるそうだが、それに倣うなら物書きは日々、〆切という名の「小さな定年」を迎えているのかもしれない。原稿を書き終えてちょっと死んで、また生き返る。「つぶす」とも「取り戻す」ともちがう奇妙な時間感覚である。

新潮社 週刊新潮
2018年5月17日菖蒲月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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