【座談会】阿川佐和子×内藤啓子×矢代朝子――文士の子ども被害者の会 Season2〈後篇〉
「私、取材されてる!」
内藤 そう、佐和子さんのおかげで父が詞を書けたこともありましたね。
阿川 小学校三、四年の頃のことなんだけど、なっちゅんと啓ちゃんの姿を覚えてないの。なんで、私一人で阪田家のテーブルで何か食べてたんだろう?
内藤 わかんないわ(会場笑)。
阿川 そこに、のそーっと阪田オジチャンが下りていらして、「佐和子ちゃん、お宅でよく作る鰹節弁当の作り方、わかる?」って言われたんです。うちの父の大好物で、本当に死ぬ間際まで「あれ作ってくれ」って言っていたんですが、鰹節をけずって、醤油に浸して、お弁当箱の中へ薄く敷いたご飯に醤油がついた鰹節を広げて、その上に海苔をぺたぺた乗せて、またご飯をのっけて、鰹節をのっけて、海苔をぺたぺたやって、二段とか三段とかにするのね。父の場合には間にワサビも挟むんだけど、子どものには入らない。そんな鰹節弁当があることを阪田さんが耳になさって、その作り方を教えてくれって言われたの。
で、今みたいに説明したんだけど、これは何か新しい歌を作るために私にリサーチしてらっしゃるんだってことは、小学校三、四年生でもわかったんですよ。「あ、私、取材されてる」って。
矢代 それはやっぱり、文士の子どもだからですよ。
阿川 そうかな。
矢代 絶対そう。「このオジサン、ただの社交辞令じゃないわ」って感づいたのよ(会場笑)。
阿川 それで、鰹節弁当の歌もいずれNHKの「みんなのうた」とかで流れるかなと期待してたら、流れないままどこかへ消えちゃった、と思ってたら……。
内藤 山本直純さんの作曲で合唱組曲『遠足』というのに入っています。その中の「おべんとう」って曲。
阿川 「ゴハンの上に/カツオブシ/カツオの上に/またゴハン/カツブシゴハンだ/すてきだろ/……」というふうな作品にして頂いたんですよ。学校の教科書なんかにも載ってたらしいんです。それを阪田寛夫さんが亡くなられてから、何年目でしたっけ?
内藤 二〇〇九年だから五年目。
阿川 五年目に、「メモリアル阪田寛夫」みたいな音楽会をやったんです。
内藤 阿川さんに司会をお願いして。
阿川 なっちゅんが、もう具合が悪かったんだけど、病院から来てくださって。あの時会ったのが私は最後だったと思います。その舞台で、阪田さんの思い出の歌を、「サッちゃん」から始まっていっぱい歌ったんだけど、「おべんとう」の歌もみんなで歌ったんです。
矢代 阪田先生の詩って、『枕詞はサッちゃん』にいくつも引用されてましたけど、どれも本当にビックリするような展開をしたり、最後の一行が見事なオチになってたり、これが詩人の言葉なんだなってあらためて思いました。
阿川 もうひとつ、啓ちゃんの本にもあったけど、阪田さんが「おなかのへるうた」を書かれて、これは「みんなのうた」で採用されることになったのね。私たち、あの頃まだ小学校低学年よね?
内藤 そう。私、今はしゃべれないけど、昔はすごいおしゃべりで、団地の宣伝カーって言われていたんです(会場笑)。で、「うちの父ちゃん――まだその頃はオジサンじゃなかった――父ちゃんの歌をNHKでやるんだよ」って、団地中のみんなに言いまくったの。
阿川 それで、団地の子どもたち、みんな仲良く遊んでるから、「すごい!」とか言って喜んでいたら……。
内藤 NHKから待ったがかかりまして。「かあちゃん かあちゃん おなかとせなかがくっつくぞ」の「かあちゃん」がいけないって。
矢代 なんでいけないの?
内藤 下品だとでもいうんでしょうかね。NHKって変よね。
阿川 それで、「かあさん」だか「おかあさん」だかになりそうだと宣伝カーがまた回ってくるんですよ(会場笑)。そしたら、まだ小学校一、二年生の子どもたちが、「それは絶対おかしい。阪田オジチャンの歌の面白みがなくなる。『かあちゃん』だからいいんだ!」って、みんなでワンワン怒ったの。
内藤 そう、怒った怒った。
阿川 そしたら、間もなく宣伝カーがまた来て、「NHKから『かあちゃん』にOKが出たよ」。みんなで「バンザーイ!」。
矢代 すごい団結力!
阿川 プライドあったのよ。阪田オジチャンは、おうちでどれほど虐げられてたり、「俺はダメだ」と言ったりして、面倒なお父さんだったかもしれないけど、私たちにとっては、とにかく怒鳴らなくて優しい、そして子どものダメなところを理解した歌を作ってくれる近所の大切なおじさんというイメージだったの。
矢代 やっぱり、父親が子どもたちにわかりやすいものを書いているって、子ども心によくないですか? 阿川先生にも『きかんしゃ やえもん』があるし。
阿川 私、父の作品はあれしか読んでない。
矢代 うちは戯曲だったから、そこがあまり……。
阿川 お父様の書かれるのは大人の話だし、絵本とかなかったんでしょ?
矢代 いま思い出したけど、小学校六年生ぐらいの時、父がいきなり「セックスって知ってるか」って言ったんです。
阿川 お父様が朝子さんに?
矢代 そう、私と妹を前に。その時、父が書いていた戯曲に「セックス」って言葉があったんだと思うんです。だから、父としてはものすごく考えて、私にまず「セックスって知ってるか」と。
阿川 戦略を練って。それで知ってたの?
矢代 うっすらとわかっていたと思うんですよ。具体的には言えないから、「うーん」とか答えたのかな。それでも父としては一応訊いたから、「娘にこの芝居を見せてもOK」としたんだと思う。でもやっぱり子どもの頃は、父の芝居でそういう男と女のシーンとかが出てくると、なんか恥ずかしいし、ちょっとイヤだった。佐和子さんはいかがでしたか?
阿川 父は基本的に男女のものを書くのは苦手だったらしくて、そういうシーンをどうしても書かなきゃいけなくなると、吉行(淳之介)さんに相談の電話してたのを覚えてます。
父の声、父の夢
阿川 では最後に一言ずつ、この場を借りて文士の父に対して言いたいことを言っておきましょうか。
内藤 言いたいことはいろいろあるんですけど、まあね、本当に苦労させられました(会場笑)。最後まで手のかかる父でございました。でも、面白かった。
阿川 結局、「面白かった」がいいね。
矢代 いま私は父の著作権の管理をしてるんですよ。お二人は?
阿川 末の弟に任せちゃった。
内藤 私はやっています。
矢代 劇作家の著作権管理って、主に上演権なんですよ。だから、父が亡くなってからずっと父の台詞と向き合うことになりました。小さな劇団から大きいところまでの許可願いの対応、上演料をどうするかとか。初日に挨拶に行ったり、そういうことをやる羽目になって二十年、母が亡くなってからでも十五年たちました。生きているうちにこの十分の一でもやっていたら、父は喜んだろうな、と思いますね。生きてる頃はもう丸無視してたんです。つっぱってたのかも。そんな私が著作権管理をしていることを父はどう思うかなって。
阿川 劇場でまた咳が聞こえたりして(会場笑)。
矢代 作家の娘より嬉しいかなと思うのは、芝居を見ていると、父の肉声が聴けるんですよ。いろんな俳優さんが演じてくれるんだけど、台詞の文体って会話だから父が喋っているみたいで、亡くなって一、二年はどんな芝居でも泣くところありました。最近、佐和子さんも『陸王』などで俳優をなさっているからわかると思うんですけど、台詞を覚えるってすごくないですか?
阿川 はいはいはい。私のことはいいですから(会場笑)。で?
矢代 亡くなっても、自分の書いた台詞を覚える俳優がいるなんて、父は幸せな人だなと思うんですよ。俳優は一か月ぐらい苦労して、一生懸命覚えるわけです。やっぱり、覚えてもらえるものを書き残せる、劇作家は幸せだと思う。私も俳優だからわかるけど、覚えたから終わりじゃなくて、その芝居が上演されている期間は、その台詞のことを二十四時間ずーっと考えてるわけじゃないですか。そんなことを父の芝居をやる人たちがみんなやっているのかと思うと、父に「あなた幸せよね」って言いたい。
阿川 そういう意味では、啓ちゃんだって同じね。
内藤 歌ってもらえるのは、父の幸せですよ。
阿川 うちはないな。今でも夢の中で父が怒っている場面しか出てこない。ニコニコした父は出てきません。
内藤 でも、お父様のことを夢に見るっていいじゃない?
阿川 イヤな夢を見たなと思って目が覚める(会場笑)。はい、オチも何もございません。今日はいろいろひどい目に遭った娘たちの話をお楽しみ頂けたのなら幸いでございます。ありがとうございました。
於・新潮講座神楽坂教室