『あの夏、二人のルカ』
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青春時代に刺さった心の棘を抜く!――【書評】『あの夏、二人のルカ』藤田香織
[レビュアー] 藤田香織(書評家・評論家)
高校三年生の夏は「区切りの夏」だ。
部活、勉強、恋愛。自分が手にしているものと、この先手に入れたいものを見比べて、選択を迫られた夏。ずっとこのままではいられないのだと知ったときの胸の痛みを、今も覚えている人はきっと少なくないだろう。誉田哲也の最新刊となる本書の「あの夏」とは、そんな青春の光と影が交差する季節を指している。
描かれていくのは、都内女子校でガールズバンドを結成した少女たちの姿だ。幼稚園児の頃からドラムを叩いてきた佐藤久美子が、同じクラスの蓮見翔子と谷川実悠にバンドを組もうと声をかけたのは二年生の二学期のこと。久美子の父親が経営するレンタルスタジオで練習を積み三年に進級した春、楽器はできないが音楽は好きだという真嶋瑠香が加わり、更に瑠香が授業でその歌声に惚れ込んだ転入生の森久ヨウをボーカルとしてスカウト。久美子はドラム、翔子がギター、実悠がベース、瑠香がマネージャー的な役割を担う形で、バンドは本格的に動き始める。
昨日できなかったことが、今日はできるようになる。吸収したいことがあり、その過程を見守り、認めてくれる人がいる。やっと手に入れた自分の居場所があって、そこに仲間がいる。バンドに限らず、そんな状況はもちろんたまらなく楽しい。演るのは、人気バンドのコピーではなくカヴァーなんだという心意気。「RUCAS」というバンド名を決める。オリジナル曲を創る。〈世界は愛では、救えない〉と唄う――。五人が経験していく、ともすれば些細にも思える出来事ひとつひとつが眩しく、読み進めていくうちに光のなかにいた自分の「あの頃」の記憶が蘇ってくる。
けれど同時に、たぶん多くの読者は予測してしまうだろう。この楽しい時間は、いつまでも続かない、と。
興味深いのは、久美子によってそうしたRUCASの活動が綴られる一方、青春は過去でしかなくなった大人たちの視点も交えていく構成にある。本書の幕開けに登場するのは、久美子たちではなく、離婚し、名古屋から帰京したひとりの女性だ。
二年前に亡くなった母親が遺した、「谷中ぎんざ」にほど近い三階建てのビルの一室に越してきた沢口は、三十二歳になった自分をどこか持て余している。愛していたとは言い難かった元旦那。些細なことから辞めてしまった仕事。住んでいた名古屋の街もあまり好きではなかったし、だからといって東京も別に好きじゃない。何よりも〈私は自分が好きではない〉と彼女は思う。
そんな沢口が関心を寄せ、頻繁に足を運ぶようになる「ルーカス・ギタークラフト」の店主・乾滉一は、かつてプロを夢見るバンドマンだったが、現在はギターの製作&メンテナンスを手がける傍ら、近隣住人に頼まれれば鍋の修理も引きうける三十八歳。駆け抜けるように高三の夏を過ごす久美子たちとは、まるで時間の流れが違うようなふたりの日々が織り込まれていく、その対比が読ませる。
初めて店を訪れた沢口が、ギターはもう十数年弾いていないと聞き、何気なく滉一が、もうギターを嫌いになってしまったのか、と問う場面が印象的だ。何もかも、自分自身さえも「好きではない」という沢口は、その質問に涙が止まらなくなる。ギターを弾かなくなったのは、嫌いだからではなかった。けれど彼女は、その理由からずっと眼を逸らして生きてきたのである。
努力と才能、友情と嫉妬、夢と現実。青春には残酷な一面もある。望んでも手に入らない物。手に入れられるのに望まない者。やがてRUCASのメンバーが直面する出来事は、彼女たちの心に大きな傷を残す。沢口と滉一が、すっかり大人になった今も忘れられず抱えてきた傷も、次第に明らかになっていく。しかし、そうした登場人物すべての傷を、誉田哲也はゆっくりと時間をかけて癒やすと同時に、読者のあの夏の痛みにも手をあてる。
青春はすっかり遠くに過ぎ去った。世界は愛では救えない、かもしれない。でも、だけど。今年もまた夏は来る。
「あの夏」は、「この夏」へと繋がっている。
大人心にもぐっと響く、いい物語だ。とても。