寺山修司の「古い新しさ」を読む 単行本未収録作品集

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没後35年を経てなお荒々しい“新しさ”が香る

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 寺山修司は多作だったし、ひとつの作品にいくつもの異稿が存在したりもして、つまりは膨大な原稿をのこした。没後三十五年が経過してから、ほぼ単行本未収録の原稿だけでこんなにずっしり重い本が出版されるのは、寺山にふさわしい。

 散文と短歌を交互に並べた実験作あり、元気のいい座談会あり、叙情的なアフリカ紀行文あり。目の前に現れる風景がどんどん変わり、飽きるということがない。寺山はシャイで繊細な人だったと聞くが、シャイであるからこそ、他人の目をひき、喜ばせ、自分を巷の話題にさせる手管はとことん研究しただろうし、またそうしたことにおいて天才的でもあった。魅力的な表現者であろうとする執念は、何十年経ってもまだギラギラ伝わってくる。

 詩は、とにかく「これまでにない」ものをと意図したのだろう、ぱっと見てすぐ新奇さが感じられるように工夫している。短歌もそうだ。端的な新しさを提供することに熱意を傾けた。寺山自身の言葉でいえばこうなる。〈誰が何といってもこの次にくる者の神話を創らなければならないし、その創ることの出来るのはぼく達、戦争に神話を崩された者よりほかにないと思うんだ。(中略)先頭に立たなきゃいけないんだ。前の世代とはだからはっきり断絶しなきゃ〉(『短歌研究』誌の座談会「明日を展く歌」より)。自分の表現を、他者とのかかわりの中に位置づけてとらえていることがよくわかる。そして驚くべきことだが、寺山が同時代の人々に見せた「新しさ」は、半世紀以上が経過してもなお、新しさの暴力みたいな香りを読者に伝えてくるのである。

「古い新しさ」を読むという、ぜいたくな時間。編者は寺山の研究者だが、この本の企画当時はまだ大学院生。そんな清新さも感じた。この本はたしかに高価だけれど、四百ページをこえる「寺山ワールド」が与えてくれる陶酔を考えれば、お安いものです。

新潮社 週刊新潮
2018年5月24日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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