【山田ルイ53世『一発屋芸人列伝』刊行記念対談】山田ルイ53世×中瀬ゆかり 負けてからが本当の人生
[文] 新潮社
「一発屋」と呼ばれる芸人たちのその後を取材したノンフィクションで、雑誌ジャーナリズム賞を受賞した山田ルイ53世。自らも髭男爵として“一発を風靡した”後に到達した、「失敗のススメ」とは?
一発屋だって生きている
中瀬 この度は「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」受賞、おめでとうございます。この賞は名前の通り、編集者が面白いと思う作品に投票して決めるんですけど、連載中から本当に話題になってました。すっごく面白かったです。
山田 ホンマですか、ありがとうございます。僕、最近ほめられる機会が少なかったんで(笑)、めちゃくちゃ嬉しいです。もうね、人生の35キロ地点でやっと給水所に来たなっていう感じです。
中瀬 失礼ながら山田さんがこんなに文章を書ける方だというイメージがなかったので、業界もざわざわしてたんですよ。
山田 一発屋が書いてるってことで、だいぶ期待値のハードルが下がってたからよかったんかなと思います。
中瀬 独特の文体がありますよね。もともと読書はお好きだったんですか?
山田 小さい時はそこそこ本好きでしたけどね。うちの親父が近所のゴミ捨て場から拾ってきたドストエフスキーを棚に飾ってたので、読んだりしてました。
中瀬 いや、ドストエフスキー拾ったんかい!
山田 世の中何が落ちてるか分からない。でも正直、コスプレキャラ芸人が“書くお仕事”をいただけると思わなかったです。
中瀬 きっかけはあったんですか?
山田 僕は中学2年生の時に学校でうんこを漏らして、それから6年間引きこもり生活を送ったんですが、その体験を書いてみませんかと言っていただいたのがはじまりですね。『ヒキコモリ漂流記』という本になりました。
中瀬 あのダンスで話題になった大人気俳優さんと同じですね! うんこを漏らすとブレイクする(笑)。
山田 こらこら静かに! 今回の『一発屋芸人列伝』では、「消えた」「死んだ」と揶揄されがちな一発屋の現在の姿を、いろんな芸人さんを通して取材したんです。一発屋だって生きているんだぞ、というのを書きたかった。
中瀬 山田さんの文章って喩えが洒落てて面白いんですよね。「一発屋界のアダムandイブ」「芸人達のゲティスバーグ演説」とか、言葉のセンスが光ってる。
山田 コスプレをしていると、お笑い的な飛び道具を使ってるというコンプレックスがあるんです。スーツをビシッと着て、センターマイク1本で漫才してる人に比べて、おもちゃ感あるじゃないですか。これまで芸人として、単純に言葉で評価をされてきていないので、いまニヤニヤが止まりません(笑)。
中瀬 キャラ芸人としてブレイクしたことに葛藤があるんですか。
山田 やっぱりほとんどの芸人が、正統派の漫才で売れたくてこの世界に入ってくると思うんです。僕も最初は“ネタの人”っていう評価があったんですよ。でもなかなか仕事がなくて、だけど飯は食わなあかんってなって、気づいた時にはシルクハットかぶってた。お笑いはじめた時は、芸人ってこんなにおでこが汗疹でかぶれる仕事だと思わなかったですから! やっと売れて『爆笑レッドカーペット』とかネタ番組の仕事が一気に増え始めると、ある種のポピュリストみたいになってもうて。流行ってるけど、本当の実力はない人みたいに思われてしまうんですよね。忸怩たる思いはありました。