【文庫双六】身長143センチの林芙美子が憧れのパリを描く――川本三郎

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身長143センチの林芙美子が憧れのパリを描く

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

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https://www.bookbang.jp/review/article/553127

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『地下鉄のザジ』といえばレーモン・クノーの原作もさることながら、それを映画化したルイ・マル監督の同名作品(60年)を思い出す人は多いだろう。

 十歳の女の子、ザジが地下鉄に憧れてパリに遊びに来る。ところが三十六時間の滞在中、地下鉄はストライキで動いていない。最後、ようやくストが終って地下鉄は動き出すが、疲れたザジは車内で眠ってしまう。

 結局、パリで「何をしたの?」と聞かれ「ひとつだけ年を取ったわ」。

 大いなる徒労の物語。カトリーヌ・ドモンジョというおかっぱ頭の子役が可愛く日本でも評判になった。

 女の子が憧れのパリに行く。林芙美子は、昭和三年『放浪記』がベストセラーになり、本格的に作家として活動をはじめた昭和六年に長年の憧れだったパリに行った。約一年滞在した(途中、ロンドンにも)。

 当時、芙美子は二十八歳だったが、なにしろ背が低い。パスポートによれば一四三センチ。フランス人からみれば子供だろう。

『下駄で歩いた巴里』はパリ滞在記を中心にした芙美子の紀行文集。パリへはシベリア鉄道で行く。若い女性が異国を一人で旅するのはたくましい。

 少女時代、行商人の両親と木賃宿に泊ったこともある芙美子はホテルには泊らない。安下宿を転々とする。キッチン付き。場所は下町で物価が安い。食材を買ってきて自分で料理する。

 書名どおり、下駄を履いて町を歩きまわる。「買物に行くのに、塗下駄でポクポク歩きますので、皆もう私を知っていてくれます」。それはそうだろう。異国の小さな女性が見慣れぬ下駄なるもので歩くのだから。

 芙美子のパリ行きは恋人(画家の外山(とやま)五郎)を追ったためと言われるが、それよりも何よりも芸術の都への憧れが強かっただろう。

 芙美子は永井荷風を愛読した。荷風の『ふらんす物語』を「ぼろぼろになるまで愛読したものだ」とある随筆で書いている。これもパリへの憧れゆえだろう。

新潮社 週刊新潮
2018年5月31日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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