池内恵・インタビュー やわらかい頭で中東を知りたい人に――『【中東大混迷を解く】シーア派とスンニ派』

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【中東大混迷を解く】 シーア派とスンニ派

『【中東大混迷を解く】 シーア派とスンニ派』

著者
池内 恵 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784106038259
発売日
2018/05/25
価格
1,080円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

やわらかい頭で中東を知りたい人に

[レビュアー] 新潮社

――“中東ブックレット”待望の第二弾がようやく刊行です。当初は年二、三冊ペースでとのことでしたが、『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』から丸二年です。どうなさっていたのでしょう?

 大変お待たせしました。“中東ブックレット”シリーズを構想した時には、もっと気軽に頻繁に出すつもりだったのですが……。時間がかかった理由は、一つ挙げれば一冊目に力を入れすぎたことですね。『サイクス=ピコ』は、ブックレットと銘打っていても、結局、単行本を一冊書くのと同じ労力を割いて、けっこう大掛かりな本になっています。しかも最新の中東情勢を盛り込んだので、短時間に尋常ではない集中の仕方をして、本を出しました。編集も校正も印刷も、特別体制を組んでもらったので出ましたが、普通ならあの質と量をあの短期間では書けません。まあそのおかげで、『サイクス=ピコ』は、ベストセラー狙いの奇をてらったものではないにもかかわらず、かなり売れたんですよね。やっぱり潜在的な読者がいるんだな、と感じて心強く思うのと同時に、質を落とせないというプレッシャーもかかり、結局二年間、第二弾『シーア派とスンニ派』の準備に費やしました。ですが、このテーマは、シリーズを考案した時から、続刊リストの筆頭にありました。中東について、世の中の人が知りたいと思っているテーマに、専門的な見地から根拠のある答えを、コンパクトに与える、というシリーズの狙いにぴったりです。

――たしかに、「シーア派とスンニ派」の宗派対立こそが中東問題の鍵だという見方は最近広まっていますね。私も、そうなのではないかと思っていました。

 講演などの際、主催者側から「シーア派とスンニ派の問題をぜひ」とよく言われます。また、質問でよく聞かれることの筆頭でもありますね。ただ「中東の紛争の原因は宗派対立なんでしょう?」と聞かれて、「はい、そうなのです」とは言い切れない。そう言い切ってしまえば、まあ楽なんでしょうけど。頭からそう決めつけて、もう他のことは聞きたくないという人もいるようです。「中東紛争はイスラーム二大宗派の積年の対立なんだから解決不可能なんだ、われわれは分からなくていい、何もしなくていいんだ!」と言いたい気持ちも分からなくはない。今、中東発のニュースは、あまりにも複雑で展開が激しすぎる。面倒臭いから「二大宗派の対立」ということにしてしまっていいよね?と思うのも無理もない。そういう読者・視聴者の心の隙につけ込む上手な解説者もいるわけで……。いいえ誰とは言いませんよ、一般論です。

――誰とは言えませんか(笑)。それにしても、中東にからむニュースが、メディアを賑わしています。少し前までなら、新聞の国際面を開いても、何日も何週間も、中東関連ニュースが見当たらないこともありました。隔世の感がありますね。

 東大でも、十年前は、中東やイスラームの授業には、ごく少数の、すごい変わり者がやってくるという印象でした。中東についてはものすごく熱心に勉強するけれども、他のことには全然興味ない、社会性もない、という少々手を焼く感じの学生が(笑)きていたのですが、今は、普通の、よく勉強している学生が、大勢やってきます。一番大きかったのは二〇一一年の一月に始まった「アラブの春」ですね。あの時に、中東に関する日本語での報道が爆発的に増えた。三月に東日本大震災があり一時的に報道は減ったはずですが、それでも、チュニジア、エジプトからリビアやシリアに「アラブの春」が波及して行く過程で報道が多くなされ、それが一三年のエジプトのクーデタや、一四年の「イスラーム国」の台頭、世界各地で相次ぐテロ、といった新たな事象を生んでいくことで、「飽きさせない」のか、断続的に報道されています。

 中東やイスラームの問題が、国際社会の普遍的課題として認知されるようになり、「中東を専門にしよう」という少数の人だけでなく、これから会社に勤めたり役所に入ったりしようと考えている人たちが、「必修科目」のように中東について勉強する。そんな学生が増えたので、授業を開くとたいてい部屋がいっぱいになってしまい、学期始めには大きい教室に変えてもらわないといけません。

大きく変わった中東情報の取り方

――そんな時代に池内さんは、どうやって情報を取捨選択しているのでしょう?

 インターネット、特にSNS経由で情報を取ることが、以前にまして多くなりましたね。「アラブの春」で若者たちに用いられて変動のツールとなったフェイスブックやツイッターが、政府や政党や新聞・テレビ局の公式ツールとしても定着してしまったので、使わざるを得ません。以前は衛星放送やネット上の新聞・ブログが重要だった。それらのメディアも今もありますが、全てSNSを通じて記事や映像を拡散するようになりました。また、中東や欧米の政治家や専門家、ジャーナリストが、SNSを通じて中東の出来事を即座に伝え、論評を加えていきます。この流れがどんどん早くなっている。

 現地で、ある日の午後に起きた事件について、日本では時差の関係でだいたい夜中にすぐにSNSで伝わってくるのですが、数時間、いや近頃は数分以内に、当事者や有力な専門家が事件にコメントをつけます。カタールの衛星放送アル=ジャジーラやニューヨーク・タイムズ紙といった有力メディアが事実関係や主要な論調を早速まとめて記事にし、ウェブ版で出す。記事を書いた記者も盛んにSNSで要約してリンクを貼って流します。日本では深夜から明け方ですね。つい事態の推移と報道・論評・検証を見ていると眠れなくなります。

 朝になって日本の新聞を見ても、まだ載っていないわけです。早くて夕刊、でも夕刊は薄いですから、たいていは翌日の朝の国際面まで待たないと載らない。そうすると、最初の情報が現地語と英語でSNSで入ってから、ふた晩経っているわけですから、「あれ、古いな」と。

――具体的にどのようなメディアに目を通しているか教えてください。

 んー、少し前までは、聞かれるとこんな感じに答えてきましたね。とりあえず英BBCの英語版の中東コーナーをチェックして、今この瞬間に何がニュースになっているかを確認し、次に、ロイター通信のこれも英語版で、国の名前で検索して、時系列で何が起こっているかを見ればいいですよ、と。今もこれは基本は変わりないのですが、なにしろSNSを通じた情報の拡散が早く、量が多く、より正確になっていますから、もっとウェブ上の情報を集める、より高度なテクニックが必要です。SNSを適切な語で検索することと、各分野で有力な専門家のアカウントを押さえておいて、何かあった時に、彼らが何を言っているかを見ることで、事情が飲み込めてきます。

 でも、誰が有力な専門家なのか、どこでどのように発信しているかを知っていなければならないので、これができる人はもう専門家みたいなものですよね。ある程度専門能力があるとどんどん情報が入るが、そうでない人は置いていかれてしまう。

――しかも池内さんが読んでいるメディアは英語とかアラビア語などですよね。

 そうです。

――そうなると大多数の読者にはちょっと敷居が高い……。

 ですので、“中東ブックレット”を読んでください、となるのです(笑)。新潮社のウェブ版『フォーサイト』でも、「中東の部屋」に加えて「池内恵の中東通信」コーナーを設け、リアルタイムで今何が起こっているのかを伝えています。これが発展していくといいですね。

本の読者もSNSを常時見ている

――しかし、それだけ幅広く目を配り書くとなると、寝る時間もないのでは?

 中東の変化が、メディアの変化を通じて加速していくのを追いかけているうちに、生活も変わりました。今もどんどん変わっていっています。そもそも、私はゆっくり紙の本を読んでいたいタイプです。まだ読んでいない本があるからという理由で、英語圏でも仏・独語圏でもなく、アラビア語圏に踏み入ったのです。ウェブだのSNSだのに関心はそれほどなく、そういうものが出てきても、すぐには手を出しませんでした。しかしアラビア語の世界が、おそらく日本よりも早く、徹底して、インターネットとSNSに移行してしまった。これはもう、ついていくしかありません。ブログやSNSを読み、ユーチューブで流れてくる流行りの映像に目を通すようになったのは、「アラブの春」の直前ぐらいです。

 やがて、読むだけでなく、自分でもブログやフェイスブックで発信するようになりました。近頃はツイッターも使うようになり、最初はリツイート、つまりニュースが流れてきたら転送したり、専門家の発信したアイデアを私の読者に紹介したり、ということだけに使っていたのですが、だんだん、よせばいいのに自分の意見もつぶやくようになり、最近は炎上というものも経験しました(笑)。

――『サイクス=ピコ』も『シーア派とスンニ派』も、「ちょっと物事が分かった人」の思い込みを覆す、あるいは正しい軌道に戻すことを狙っていますね。どんな読者を想定していますか。

 面白いことに気づいたのですが、私のいくつかのSNS実名アカウントをフォローする人の数は、どれも同じぐらいなんですね。で、私の本は、ほぼフォロワーの数だけ売れます。フォロワー全員が買うわけではないでしょうが、結果的に、同じぐらいの数の人が私の本を買ってくれるのです。ベストセラー的な数ではありませんが、一部の特殊な専門家に限られたものでは全くない。仕事である程度中東について知っておかねばならないなと気づいた人、増えてきた中東報道を見てなかなか面白そうだと感じた知的好奇心の高い人たちが、SNSで私をフォローして日々知識を蓄え、本が出ると買って読む。そういうサイクルができてきたようです。ですので、中東を「ある程度知っている人」が読者と言えるのですが、専門家ということではありません。

 今時、仕事で海外に出れば、実は必然的に中東やイスラーム世界との関係が出てくる。お役所でも中東に関与する機会が増えてきました。ですので、準備しておかなきゃ、と仕事のかたわら私のSNSの解説を読み、私が転送するニュースも読んで、じわじわと視野を広げ認識を深めている人たちが、かなりの数いることがSNSを通じて把握できます。おそらくそういう人たちが第一の読者なのではないかと思います。

議論はどこで形作られているのか

――『シーア派とスンニ派』をお書きになる上で、最も苦心されたところは?

 とにかく中東で実際に起こっていることは何かを描こうとしました。同時に、宗派に代表される人間の根源的なアイデンティティ、帰属意識というものの重要性、影響力の大きさは、中東の社会に触れれば感じます。「シーア派とスンニ派」というのは、中東の人々が心の支えにし、社会や政治のつながりの根拠としている、根源的な、アイデンティティの核となるものの、代表的なものです。確かに宗派によってまとまる力は強い。素人の直感は侮れない――これは“中東ブックレット”の共通テーマかもしれませんね。素人の直感は、少なくとも、何かを知る手がかりにはなっているのです。

――今回は、英語圏の中東関連書籍についても詳しく論じていますね。

 われわれがなんとなく考えていることは、最初に誰かが考え出して、流通させたものなのです。近年は特に、中東についても、アラビア語などよりも英語圏で、中東出身者が関わり米国などの有力者が介在して広められた考え方が、世界の標準となり、中東の現地の議論や現実すらも、形作っていくようになった。「中東問題はシーア派とスンニ派の宗派対立だ」という考え方にしたって、日本に伝わりあまり深く考えてなさそうな解説者によって流布されるより前に、英語圏で誰と誰がこの本で言い出したから広まったんだよ、という背景が実はあります。それを知っておけば、中東で起こっていること、今後起こってくることを理解し見通すのに役立ちます。

――さて、第三弾のブックレットは?

 うーん、結局今回も、かなり苦労して書き終えたばかりなので、とっさに言うことが思いつきません。まあパソコンの中には第三弾、第四弾のテーマの候補がリストアップしてありますが、今のところは企業秘密ということで……。でも、次回からはもっと肩の力を抜いて書きます。そしてもっとしょっちゅう出します。そしてそう宣言しておきます。

新潮社 波
2018年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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