佐藤優が取り憑かれそうになった危険な思想家――『高畠素之の亡霊―ある国家社会主義者の危険な思想―』

レビュー

7
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高畠素之の亡霊

『高畠素之の亡霊』

著者
佐藤 優 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784106038266
発売日
2018/05/25
価格
2,052円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

佐藤優が取り憑かれそうになった危険な思想家

[レビュアー] 古市憲寿(社会学者)

 高畠素之。その名前を覚えている人は、この世界にまだ何人いるだろう。

 日本で初めてカール・マルクスの『資本論』を完訳し、論壇で大きな影響力を誇ったものの、最近では顧みられることも少ない。さしあたり忘れ去られた思想家と呼んで差し支えないだろう。

 正直、本書を読み始めるまでは気が重かった。いくら「知の巨人」佐藤優であっても、こんな過去の人をテーマに本を書かなくてもいいのではないか。高畠素之はもちろん、『資本論』でさえ黴が生え始めて随分経つのだから。

 しかし本書を読み終わる頃に、その認識は改められることになる。高畠素之とは、なんと不思議で、聡明な人物だったのだろう。思わずそう感心せずにはいられなくなった。いくつか例を出してみよう。

〇彼は、同志社で神学を学びながら、「一切の宗教に対して軽蔑の念慮を禁じ得ない」と公言していた。

〇彼は、当時誰よりも『資本論』に精通していた一人だったにもかかわらず、マルクス主義者ではなく、国家社会主義者だった。しかし全面的な国家統制を嫌い、貨幣の価値を評価し、消費の魅力を認める。

〇彼は、民主主義を批判して、大衆をバカにしながら、衆議院議員選挙への立候補を真剣に模索していた。

 このように、高畠の思想と行動を列挙してみると、そこには大いなる矛盾が存在しているように見える。しかし彼は決して、出版社や大衆に媚びて、適当なことを言い募るご都合主義の人物ではなかった。むしろ、彼の言動には明らかに一本の筋が通っている。

 一体、その「筋」とは何なのか。一例を出すならば、高畠は極めて功利主義的な考え方をする人物だった。

 たとえば彼は宗教を「軽蔑」するが、「人間の信仰といふものにこれ程の実用性がある以上、宗教は社会的心理的必要の上から永遠に滅亡するものでない」と述べる。宗教は「迷信」であり「盲信」であるが、「信仰は迷信であるほど効能が大きい」というのだ。彼に言わせれば「人生は活動であり、活動の原動力となるものは熱意又は根気であり、その発動機には信仰が一番安値」である。その意味で、キリスト教も仏教も「似たり寄つたりの代物」に過ぎない。

 何という元も子もない言い方だろう。現代の学者でさえ、なかなかこうも突き放した物言いはできるものではない。

 この感じ、僕にとっては、デビュー当時の宮台真司さんという社会学者を想起させた。しかし高畠の発言に、宮台さんのような露悪的な意図はなかったはずだ。

 高畠は良くも悪くも「ガチ」だった。彼は病気によって42歳で死んでしまうが、もしも1930年代末まで生きながらえていたら、陸軍の力を背景に乾いたクーデターを起こしていたはずだと佐藤さんは推測する。実際、彼は陸軍大将の宇垣一成に接近したことが知られている。

 ここも高畠の面白いところだ。「ガチ」な人物の思想というのは、往々にして熱意ばかりが先行して、何を言っているか理解不能なことが多い。しかし、佐藤さんという媒介者の力もあり、高畠の思想は極めて明晰だ。

 そしてもちろん、『シン・ゴジラ』に登場するような、頭でっかちで、実際には何の役にも立たない学者でもなかった。

高畠は選挙について述べた文章で、候補者の戸別訪問の価値を説く。普段大きな顔をした「偉い人」が頭を下げる姿に、大衆は陶酔感を抱くというのだ。彼は合理的計算だけで政治が運営できないことをわかっていた。だから、社会変革の一手段として政治家になっていたとしても何ら不思議はない。

 このように本書は、高畠の「矛盾」を解き明かしながら、その思想に迫っていくという点で、良質のミステリーのような読み応えもある本だ。

 だが重要なのはこの先である。なぜ佐藤さんは2018年にもなって、高畠素之に関する本を出版したのか。実は、高畠と佐藤さんは、共に同志社で神学を学んでいた。佐藤さんにとって、高畠について語ることは「自身の半生を思想的に整理」することになるという。

 確かに本を読み進めていくうちに、高畠と佐藤さんの境界線がわからなくなる箇所がある。高畠の「亡霊」を「降霊」するうちに、佐藤さん自身が高畠になってしまったのか。

 その危惧は、いよいよ最終章で現実となる。佐藤さんは高畠に影響を受ける形で、ある危険な思想に対する「魅力」を吐露する。高畠はクーデターを真剣に検討していた人物だ。さて、佐藤さんはその「魅力」に飲み込まれてしまうのか。

 本書のスリリングな結末は、実際に手に取った読者が確かめて欲しい。そして読み進めるうちに気付くはずだ。黴は、思想にとって、時に良質のスパイスになるということを。

新潮社 波
2018年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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