「ゆがめられた通説」に挑む――『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く―』

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「ゆがめられた通説」に挑む

[レビュアー] 猪木武徳(経済学者・大阪大学名誉教授)

 近年これほど引き込まれて読了した経済研究者の著作はない。戦時中の経済学者の国策への関与を、新しく見つかった資料で明らかにする語り口には迫力があり、いつの間にか「真実」となってしまった通説と、人物の虚像・実像を検討していく筆さばきは見事だ。

 本書の基本的な問いは、「なぜ日本はリスクの大きい米英との戦争に踏み切ったのか」、そして「開戦の決定に、経済学者による抗戦力の測定は影響を与えたのか」というものである。検討の対象となるのは、陸軍省主計課別班(通称「秋丸機関」)による、英・米、ドイツ、日本の経済力を調査分析した報告書と、その研究に参加した有沢広巳、武村忠雄らの役割である。

 一九四一年夏の段階で、仮想敵国の政治経済の分析を行った秋丸機関の研究姿勢は、「常に客観的の実体を把握するに努め」「論拠を努めて計数に求め簡明直裁に推論する」ことにあった。この研究グループで主導的立場にあった有沢広巳の戦後の証言によって、「その調査結果を不都合とする陸軍によって報告書は焼却された」とする通説が信じられてきた。しかし研究機関の実態と研究の内容が明らかになるにつれ、関わった人々の証言の信憑性、その調査研究の国政への影響力について、この通説はゆがめられたものではないかと著者は考える。

 本書執筆のきっかけは、秋丸機関が作成した『英米合作経済抗戦力調査(其一)』が有沢広巳の旧蔵資料中から発見されたこと、著者自身が四年前に『同(其二)』を古書店で見つけ購入したこと、さらに『独逸経済抗戦力調査』が静岡大学附属図書館所蔵であると知るに至ったことにあった。本書第四章はこれらの報告書の内容紹介とその情報価値の検討に充てられている。

 英米については、両国を合わせれば巨大な経済力であるが、英国一国は数字から見ると日本が屈服させうる可能性はある。その場合、英国の軍需品海上輸送力が米英の弱点となりうるから、英国を助ける米国の船舶をドイツが大西洋でどれほど撃沈できるかがポイントとなる。かくて英国の屈服はドイツの経済抗戦力によって決まるから、『独逸経済抗戦力調査』(武村忠雄が執筆)が報告書の中で重要な意味を持つことになろう。

 そのドイツが対英長期戦に耐えうるためには、ソ連の生産力が利用できなければならない。ドイツを助けつつ、ドイツに対する日本の立場を強めるためにも、そして独ソ開戦によって不可避となる連合国の包囲を突破するためにも、ドイツと共にソ連と戦う北進論(消耗戦争)ではなく、資源を獲得するための南進論(資源戦争)を選ぶべきだという戦略が導き出されるのだ。

 しかし同時にこの報告書は、長期戦になれば米国の経済動員で、日独の勝利の機会はない、とも述べている。つまり「どうとも解釈される」書きぶりなのだ。したがって対米開戦を決意していた陸軍上層部には都合の悪いものだったからこの報告書が「焼却された」という有沢証言を鵜呑みにするわけにはいかない。報告書に記されていた情報は、当時の『改造』などの総合雑誌の読者や政軍関係者には広く知られていたもので、特段の機密事項ではなかったからだ。

 著者は慎重に「現時点で」と断りながら、「杉山元参謀総長が秋丸機関の報告書の焼却を命じ報告書はすべて焼却されたという有沢証言は事実を述べたものではないと考えている」と結論付ける。

 秋丸機関の「独逸に関する報告書」は、南進を主張した陸軍省軍務局の意向を反映したものであり、その意図はともかく、南進を支持し北進を批判するための材料となりえた。事実としては、石油を絶たれた日本は、八月初旬に昭和一六年中の北進を断念し、九月六日の御前会議で、対米(英・蘭)戦争を辞さない、という決意を固めるのだ。

 この決意によって、北進でも南進でも戦争は避けられないとしても、北進を選ばなかったから、昭和二〇年八月まで米・英・ソの三国と「同時に」戦うことを回避できたことは確かだ。終戦に尽力した(鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長)迫水久常の、「日本の陸軍のたった一つのとりえは、ソ連の実力を正当に評価しておったことである」という言葉の意味は重い。日本が北日本と南日本に分断される可能性を避けえたということだ。

 第五章「なぜ開戦の決定が行われたのか」は、国力の差を十分認識していたにもかかわらず、なぜリスクの大きい開戦を選択したのかを論じている。行動経済学からの数値例を用いて、個人の非合理的とも見える行動を合理的に説明しているが、その説得力は限定的なものであろう。むしろ、その後に続く「集団の結論」は個人が意思決定をおこなうよりも極端になる場合が多いという社会心理学の「集団意思決定」の理論の方が、「どうなるか分からないからこそ指導者たちが合意できた」という本書の議論の枠組みに合うように評者には見える(この点はT・シェリングがすでに半世紀以上前に「差別行動」に関して論じている)。

 いずれにしろ、日本は統一的な戦略を持てず、陸軍はソ連陸軍を、海軍はアメリカ海軍を仮想敵とする従来の思考法から抜け出すことができなかったことになる。確かな推論と明晰な語り口でその経過を丹念に描き出した本書は、高いスコラシップを示す傑作と言えよう。

新潮社 波
2018年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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