八十年前の日本に「ホームステイ」した本

レビュー

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1937年の日本人

『1937年の日本人』

著者
山崎雅弘 [著]
出版社
朝日新聞出版
ISBN
9784022514851
発売日
2018/04/20
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

八十年前の日本に「ホームステイ」した本

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 八十年前の日本に「ホームステイ」して出来た本である。タイムマシンといった物々しさではなく、ホームステイというカジュアルな感覚で、歴史に触れるという試みである。

 行き先に選ばれたのは1937年、つまり昭和十二年の大日本帝国である。場所は「儲かりまっか」の商都大阪、滞在先はごく普通の市民生活を営むご一家で、お母さんは「主婦之友」を愛読する専業主婦、子どもたちは「少年倶楽部」に夢中だ。一家を特徴づけているのは、お父さんの職業くらいだろうか。お父さんは「写真好きの陸軍将校」で師団司令部勤務だが、「中央公論」「改造」「文藝春秋」といった総合雑誌の読者である。コチコチ、コテコテの武張った軍人ではない。その証拠に、職業軍人ならば毎日新聞(「大阪毎日」)を読むのが一般的なはずなのに、反軍色が強いといわれる朝日新聞(「大阪朝日」)を宅配で読んでいる。それもかなりの愛読者らしい。

 以上のホームステイ先ご一家のプロフィールから一篇の長編小説を創作するのは可能だろう。しかし、『1937年の日本人』の著者・山崎雅弘の興味は別のところにあった。ご一家の読む新聞や雑誌の紙誌面を覗き見し、当時の人になりすまして読んでみるという実験である。テレビもインターネットも存在しない昭和十二年であるから、これは大いに有効である。

 著者の中にはおそらく八十年前と現在を重ね合わせて「戦前回帰」の現状を撃つ、といった官邸前デモの如き、景気のいい狙いがあったろうが、そうした単細胞的な視点は抑えられている。そのために、様々な「読み」に誘う自由がこの本には確保されている。その「自由」こそが昭和十二年という年の紙誌面に慣れ親しんだ著者が貴重なものとして再発見したのではないだろうか。

 1937年とは、支那事変が勃発した年である。この年の前半は日常を享受する平和があり、後半は窮屈な総動員体制へと向かう戦争の時代となる。宣戦布告があったわけではないから、平和から戦争へはグラデーションで移っていく。言論の幅はいつしか徐々に狭まっていく。

 本書の「1937年」とは前年十二月の白亜の新国会議事堂での議会から始まり、翌昭和十三年三月の国家総動員法の成立までを指す。かなりの瀕死状態だった議会政治が事実上の機能停止となるまでの一年余である。その間に内閣は三つ半あった。広田弘毅、宇垣一成(陸軍の妨害で組閣を断念)、林銑十郎、近衛文麿である。そうした教科書的知識とは違う世相が本書からは伝わってくる。

 七月七日夜の北京(当時は北平)郊外盧溝橋での日支両軍の軍事衝突についての解説記事には、「なぜ日本軍は中国の北平郊外で軍事演習をしていたのか」についての説明があるという。今日の日本人ならいざ知らず、当時の日本人もその点をよく理解できていなかった。少なくとも朝日新聞はそう判断して、条約に基づく「演習権」があったと解説する。

 八月二十五日の紙面では、三年後の東京オリンピック有力金メダル候補が、今でいう強化選手からはずれたという発表記事が載った。ロサンゼルス五輪の英雄バロン西(西竹一陸軍大尉)らである。「時局の拡大はついに現役将校をしてオリンピックの準備訓練に専念することを許さない情勢に立ち至ったため」である。皇紀二千六百年に予定された東京五輪開催を辞退する一年前の決定である。

 朝日主催の甲子園中等野球の記事では、戦時色強い見出しが競われた。「大陸の戦野を偲ぶ 果敢な“白球爆撃”」「“玉砕”の神髄 秋田中の対強敵戦法」「正に毒瓦斯 呉港の時宜を得た重盗」等々、気分はもう戦場である。

 十月二十七日の陸軍省発表では、日本軍の「尊き戦死者」は九千六百四十人という当時としては大きな数字に達していた。その多くは昨日まで会社勤めだったり農民だったお父さんであった。

 事変終結の目安とされた首都南京の陥落は十二月十三日だが、その三日前には「南京ついに陥落す」「全城門、城壁に日章旗」と号外が出た。フライングの誤報である。陥落三日後の紙面では南京の近況を伝え、「便衣服に着替えて市中に潜伏するもの二万五千名と推定」とあった。便衣兵(ゲリラ)については陸軍将校団の機関誌「偕行社記事」が既に注意を喚起していた。この「偕行社記事」を読む必要上、ステイ先ご一家のお父さんの仕事はわざわざ陸軍将校に設定されていたようだ。

 朝日を宅配で読むという設定についてなら著者ははっきり書いている。「政府の国策である戦争と向き合う姿勢において、日本で特に「振れ幅」が大きかった大手メディアは朝日新聞ではないか、という、筆者個人の認識」があったからである。

 紙面の変化だけではなく、「アサヒカメラ」の戦場写真特集、「支那事変画報」といった戦場グラフ誌、「天声人語」の「中国人を見下すような文章」も見逃していない。会社全体としては、軍用機献納運動を起こす。朝日からの寄付金は社から二万、役員一同一万、従業員一同一万で計四万円。これが引き金となって五日間で寄付は百万円を突破した。いずれも池上彰の朝日紙面批評「新聞ななめ読み」の昭和史応用編でもあるのだ。

 昭和十二年の朝日新聞には、時代を映す人気の連載小説があった。永井荷風の「ぼく東綺譚」と山本有三の「路傍の石」である。本書がこの二つの連載に触れていないのは残念である。

新潮社 新潮45
2018年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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