近藤史恵・インタビュー 最新サスペンス小説『わたしの本の空白は』について語る

インタビュー

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わたしの本の空白は

『わたしの本の空白は』

著者
近藤史恵 [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758413237
発売日
2018/05/11
価格
1,650円(税込)

【特集 近藤史恵の世界】著者インタビュー

[文] 角川春樹事務所

近藤史恵
近藤史恵

ミステリー、ラブストーリー、スポーツ……バラエティ豊かな作品群で読者を魅了する近藤史恵の最新作は、“自分の感情が信じられない”ヒロイン・南が自身の真実に迫っていくミステリー。彼女は、そして読者は、その空白からどのような物語を読み解くのだろうか?

 ***

――この物語の、発想のきっかけは何だったのでしょうか。

近藤史恵(以下、近藤) ずっと、“自分の感情が信じられない状態”と言いますか、自分の過去の感情と現在の感情の不連続性を書いてみたいと思っていたんです。私にとっては結構親しい感覚なのにフィクションとしてはあまり扱われていない、という思いがあったので、「“今の状況と自分の感情の間に乖離がある”状況を書いてみよう」と。

――それで、主人公・南が記憶喪失の状態で目覚めたところから物語が始まるわけですね。彼女を取り巻く人々の配置については、どのように考えていかれたのでしょう。

近藤 夫とされる人がいることは最初から決まっていましたが、一対一では面白くない。ある種の関係性が外側に広がっていかないと、ということで、夫・慎也と、同居している家族として義母・はると義姉・祐未、割と信じられる存在として南の妹・小雪、という具合。この長さの小説としては、かなり少ない人数ではないでしょうか。

――登場人物を絞ったのは、南の心理描写に重きを置くためですか?

近藤 そうです。あまりいろいろな人が出てきても、この話の中では混乱するだけではないかと思ったので。

――慎也のほかは女性ばかりですね。

近藤 私の小説はもともと、特に男性にスポットを当てたものでなければ女性の登場人物の方が多いんです。女性同士の関係を書いていた方が楽しいので。

――男女の関係性でも男性同士でもなく、女性同士?

近藤 お互いのことをあまり知らない女性と男性の関係って、そこに恋愛等が介在しないとどこか余所余所しいし、どう書いていいかわからないというのが正直なところで。でも女性同士の関係は、意地悪があったりしてとても面白みがあると思うんです。男性から女性への悪意だと脅威になってしまうのですが、女性同士の場合は意地悪がありつつ親しみもあったりする。今回の場合は、祐未が南を気づかいながらも意地悪する。その距離感は、書いていてとても面白かったんです。

――確かに、祐未はとても印象的な存在ですね。ちなみに南の性格やプロフィールなどは、どのように決めていったのでしょうか。

近藤 なるべくフラットに、あまり個性の強くない人物にしようとは思っていました。とても受け身で、『わたしの本の空白は』というタイトルでもわかるように、置かれた状況から“自分を読んでいく”人です。ある意味、読者の立場なんですね。そういう人があまり主張しても、という気持ちがありました。でも、そういう平凡な人のモノローグは書くのがなかなか難しかったですね。

――南のモノローグにはご苦労されていたのですね。この物語は基本的に南の一人称で進みますが、時々違う人物の視点で語られる。その構成が興味深いと感じました。

近藤 南の視点だけでは、少し息苦しいところがありました。これは書きながら思いついたことですが、途中で別の人の視点を入れて外側からこの事件を見てみよう、と。

――別の視点を担っている渚も、重要な役回りですね。

近藤 南はほぼ私の思っている通りに動いてくれたけれど、渚は全然思い通りに動いてくれませんでした。でもそれが、書いていて面白かったですね。

――最初はどう動いてほしいと思っていたのでしょうか?

近藤 もっと普通の視点を持った人物として、外側から見てほしかったのですが。全然、普通の人にはなってくれませんでした。

――彼女、かなり病んでいますよね……。本作を読んだ男性からも「渚が怖い」という感想があったと聞きました。身近にいるわけではないのに、あたかもいるような感じで、そこに引き込まれた、と。

近藤 そういう病んでいる人が、綺麗な人を見た時の気持ちはどういうものか。もう少し事件とは距離をとっていてもらいたかったけれど、反対にもっと深入りする形になってしまいました。でも実は、渚側の筋はどうなっても本筋に大きな影響はありません。だからこそ自由にできる部分も大きかったし、書いていても面白かった。読者にとっては、意外な驚きになるのではないでしょうか。

――それに渚ほど極端なレベルではなくても、ああいう毒というかずるさを持った女性は、案外いるような気もします。

近藤 そういう傾向の人はいますね。それに、渚はとても純粋な部分があるんです。だからこそ、毒をまとっている。それも書いていて楽しかった要因ですね。

――南は終始受け身なこともあって、なおさら対照的な祐未と渚の存在は印象に残りますね。そうした女性たちに囲まれているのが、慎也です。彼については、どのような意図を持って描いていたのでしょうか。

近藤 彼は事前に語ることが非常に難しい人物ですけど、単純な悪人ではない。恋に落ちたものの、ただボタンをかけ違えてしまっただけの普通の人なんです。

――そんな彼ですが、南の視点ではある種の“怖さ”も感じます。

近藤 普通だけどちょっと怖いというか、最初はいい人そうに見えた人が怖くなっていく感じは出したかったですね。決して酷い悪人というわけではないけれども怖さを感じる、という。

――そして、グリム童話の『カエルの王子様』が印象的に用いられています。そこにはどういう意図があるのでしょうか。

近藤 あの話は、子どもの頃から納得がいかなかったんです。どうして、カエルが気持ち悪いからって投げつけて、王子様の姿に戻るのか。カエルが王子様になるのは本当にハッピーエンドなのか。寓話が現実の何かを映し出しているとするなら、そこにはどういう現実が投影されているのだろう、という疑問があって。むしろ王子様がカエルになってしまう方が現実的だし、王子様に見えていた人がカエル―ちょっとおぞましいものに変わってしまった瞬間を書きたいと思ったんです。

――そうした作品の執筆で、特にご苦労された部分は?

近藤 かなり複雑な形にしてしまったので、どういう風にカードをめくって真実を明らかにしていくか悩みました。そこで光景が変わっていくわけですから、ひとつを明らかにしたら次にどれを明らかにしていくかで、読後感がまったく変わります。それは、ミステリーを書く時にいつも悩むことですね。

――逆に筆がのった部分はどこでしょう。

近藤 嫌な人って、書くのが楽しいですね(笑)。渚や祐未、慎也と、嫌なところを持ちつつもどこか根がピュアなんですよ。ただ、そのピュアな部分が嫌な現れ方をしてしまう。そういう人を、創作で書いていきたいんです。

――作中の人物には、作者自身が投影されているという話があります。あえて言うなら、ご自身に一番近いのは?

近藤 この作品では、誰も似ていません(笑)。とはいっても、わかる部分はあるんですよ。「こういう感情の時はこうふるまうべきだ」というお約束を取り払った時に同じ行動をとるかもしれない、という気持ちはあります。例えば、お母さんが不治の病で入院したと聞いても「だから?」と言うような、人の死に対してとても冷酷な場面があるとします。私も、もしもう助からない病気になった身内がいたら、特にその人が嫌いというわけではなくても「病気になってしまったのなら、もう仕方ないのでは」という気持ちがどこかにあるので、悪意なく「だから、どうしたの?」と言ってしまう気持ちはわからなくもない。もちろん実際にそうなったら、言わないとは思いますけど。そういう自分の中に少しでもある感情を広げていって、書きながらその人を理解していくんです。

――特にミステリー作品で感じるのは、作者はどこまで全体像を俯瞰しつつ、細部を組み上げて書いていらっしゃるのだろうか、ということなのですが。

近藤 南の話の結末は、最初から決めていました。そこに至るまでに他の人物がどう動くかは、わからないままに書いていた部分もあります。

――ではその過程と結末は、うまくはまったという実感はありますか?

近藤 どうでしょうか(笑)。私はすごく好きですけど、ちょっと変わった話だと思いますから。読んだ方がなにか新鮮なものを感じていただけるとうれしいのですけど。

この作品で一番やりたかったのは、“愛を解体する”こと

――最後まで書き上げた時の、率直なご感想は?

近藤 「変な話になっちゃったな」と(笑)。もっとも、最初から変な話にしようと思って書いていたわけですけど。この作品で一番やりたかったのは、大げさな言い方ですけど“愛を解体する”こと。血まみれになって解体した末に愛が死骸のように横たわっている状態を描き出すことには、成功したと思っています。こういう解体の仕方をした作品は、あまりないだろうと思いますし。そういう意味でも、読んだ方に驚いていただけるのではないでしょうか。前々からステレオタイプな物語とは違うものを書きたい気持ちがあったので、とても満足しています。

――この作品におけるステレオタイプというと、“夫婦”……?

近藤 それと“愛”だったり、“女性の執着・愛情”だったり。渚はよくある情念系の女性ではなく、ちょっと醒めていて、でもロマンティック。「“自分にはないもの”を好きな人が好き」という気持ちは、少しわかるような気がします。

――『わたしの本の空白は』というタイトルには、どのような思いを込めたのでしょうか。

近藤 もともと、私は知らない本を読むようなつもりで小説を書くことが多くて。“世界”という本の中から小説にできるものを抽出して、読みながら書き、書きながら読む。そういう同時進行のような面があります。今回は『南』という本でしたが、彼女は本当に普通の人。でもフラットだからこそ、面白い人生を歩んでいくかもしれません。巻き込まれ型ですし、モテ度も高いですしね(笑)。

――最後に、この作品を書き上げたことで書き手として何を得たと感じていますか?

近藤 これまでは、どちらかというとリアルな小説を書いていたことの方が多かったと思います。でも今回は、少々離れ業を使った形になりました。ずっと書きたかった “自分の知らない自分に出会っていく”話を書くことができて、とても良かったと思っています。

構成:金井まゆみ/イラスト:北澤平祐

角川春樹事務所 ランティエ
2018年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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