私的な視点や矜持を排した群像劇型のクロニクル小説
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
大正期から平成の現在へ、百年の歴史をたどり直し、名もなき人々のありふれた人生を描きだす群像劇型のクロニクル小説である。『巡礼』、『橋』、『草薙の剣』と、橋本治は叙事的な文体の確立と洗練に取り組んできたのではないか。すなわち私的な視点や抒情を排したスタイル。全知の語り手が三人称で語る、王道の物語様式を復興させている。
幕開け、不思議な光景が現れる。スーパーの暗い床に食品の陳列棚が並んでいる。そんな同じ夢から覚めるのは、六十二歳の昭生(配管工)から十歳ずつ年の違う、豊生(無職)、常生(民間研究室勤務)、夢生(引きこもり)、凪生(大学生)、そして十二歳(小学生)の凡生(なみお)。
この六人が主人公ではあるが、彼らの父母、祖父母、兄などの人生のほうが、より丹念に、(まだしも)ドラマチックに描かれている。それは、時代性もあるのだろう。満州事変、太平洋戦争、戦後の復興、高度成長期と、日本人は「激動の時代」を生き、国は著しい変貌を遂げてきた。その後、安保闘争、オイルショック、バブル経済と崩壊を経て、日本は緩慢に失速し、衰萎(すいい)するなか、教団の無差別殺人や不可解な猟奇事件が相次ぎ、学校での陰湿ないじめや、三十代以上の引きこもりなどが社会問題となる。
ふつうの人々のよしなしごとが淡々と語られる。しかしこの文体には、作者の確固たる意志があるはずだ。語り手はだれか一人を守り立てたり、ささやかな成功を寿(ことほ)いだりしない。がんばってきた日本を褒めることもしない。叙事物語(エピック)とは元々英雄を讃えるのが本分だが、本作はそこから限りなく遠ざかる。それは、語りの独裁に陥ることを避ける手段でもあるのだろう。3・11の後、高二の凪生は東北の被災地で、「僕達はここからスタートするしかないんだ」と感じ、凡生は決死の「向火」を放つ。
これは、ノン・ヒーローたちの戦記、類まれなるエピックである。