樺太生まれの作家が描く首斬り浅右衛門の物語
[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)
【前回の文庫双六】大正14年、白秋の“心もはずむ”樺太紀行――梯久美子
https://www.bookbang.jp/review/article/553852
***
樺太、と聞いた瞬間に、樺太生まれの作家・綱淵謙錠の傑作『乱』が浮かんできた。本来なら樺太を舞台にした『夷』『狄』を連想するんだろうが、忘れがたいのは『乱』なのである。特に、箱館戦争のくだりを書く前に亡くなったので(『乱』は未完の大作だ)、フランス軍人ブリュネが箱館を去るところをこの作家ならどう描いただろうかとずっと気になっている。五稜郭に同行する報酬としてブリュネが二十四カ月で八万両を請求したという資料に対し、滅びゆく幕軍と運命をともにしたブリュネがそんな大金を請求したはずがないと敢然と反論した綱淵謙錠なら、五稜郭を去るブリュネの痛みと哀しみをきっちりと描いてくれたに違いないと思うのである。それを読みたかったと思う。
しかし『夷』も『狄』もその『乱』も、すべて絶版なので断念。ここでは直木賞受賞作の『斬』をとりあげておきたい(このときの同時受賞が井上ひさし)。
これは「首斬り浅右衛門」の異名で知られ、罪人の首を斬り続けた山田家の歴史を描いた長編である。
その冒頭近くに、昭和十三年、山田家の菩提寺である池袋三丁目の曹洞宗瑞鳳山祥雲寺で「浅右衛門之碑」の除幕式が行われたという記述が出てくる。
この祥雲寺は、池袋駅から山手通りに向かって伸びる通りに面していて、高校時代にその前をよく通っていたのは私の実家に帰る途中にあったからだ。「ここに、首斬り浅右衛門の墓があるんだぜ」と言ったのが誰だったか忘れてしまった。たまたま一緒に帰った級友だろう。そういう歴史のある寺だとも知らず、私はぼんやりと歩いているだけであったが、その「首斬り浅右衛門」という言葉が強く残っている。
綱淵謙錠が訪れた昭和四十六年には、その周囲に朽ちた材木が積み重ねられ、古墓石やコンクリートの角柱などの置場となっているようで、いかにも世間に見捨てられた感じが強かった、と作家は書いている。