「戦中派の終点」の父の話を聴く

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生きるとか死ぬとか父親とか

『生きるとか死ぬとか父親とか』

著者
ジェーン・スー [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103519119
発売日
2018/05/18
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「戦中派の終点」の父の話を聴く

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 いいタイトルだなと思って、書店の平台から本を手に取った。『生きるとか死ぬとか父親とか』。三つの「とか」が効いている。重いようで、軽いのか。軽いようで、重いのか。

「我が家の元日は、墓参りと決まっている」と本は始まっている。章の題は「この男、肉親につき。」。父とひとり娘の著者は、月に一度というハイペースで、護国寺の母のお墓を訪ねている。

「前回の墓参りに、父は真っ赤なブルゾンに私が買ってあげたボルサリーノの中折れ帽をかぶり、首にはクリーム色のカシミアマフラーという出で立ちで現れた。どこの司忍(つかさしのぶ)かと思えば父だった。なかなか良く似合っていたので「とても文無しには見えないよ!」と最大級の賛辞を送った」

 著者の名はジェーン・スー。何だか無国籍風の名前である。その割りには東京の風土によく馴染んだ文章である。著者略歴を見ると、「東京生まれの日本人」で、『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で講談社エッセイ賞を受賞している。今度の本書は新潮社の「波」に連載したという。それなのに全然気づかなかった。いかがわしい無国籍風なので、スルーしてしまっていたのか。

 男でいえば、リリー・フランキーなどという無国籍・性別不明の名前もある。その『東京タワー』は「~オカンとボクと、時々、オトン~」という副題だった。それに倣えば、『護国寺の墓~父と私と、不在の母と~』となるが、そんな題ではせっかくの本書は台無しだ。

 父親とは誰にとっても厄介な存在である。ましてやひとり娘であり、「緩衝材」になってくれる母はもういない。著者は四十二歳になって、父を知ろうと決心する。母は著者が二十四歳の時に、六十四歳で亡くなっている。著者の知っている「父と母」は一面に過ぎない。同時に「夫と妻」であり、「男と女」であった。それらの側面も含めて全部を知りたい。お墓参りの帰りに、話を引き出す。親戚や知人にも話を聞いてまわる。取材ではなく、ごく自然にだ。

 父は昭和十三年(一九三八)生まれ。結核で大学を中退し、商売一筋で生きてきた。貴金属の卸と小売りで成功し、文京区内に会社兼自宅の四階建てビルを建てた。高度成長の波に乗った小成功者である。十年前までの父は、「全盛期の石原慎太郎とナベツネを足して二で割らないような男だった」。

 母は六歳年上で、映画雑誌の編集者だった。そのプロフィールを読んでいると、私なぞは若き日の向田邦子を連想してしまう。著者の筆の効用かもしれない。母は美人で、言い寄ってくる男が大勢いたはずなのに、なんで父だったのか。「そりゃあ、俺に惚れていたからさ」と胸を張る司忍もどきは無視して、娘は知りたくてたまらない。著者は母の死後ずっとたってから、友人が母から聞いていた言葉を初めて知る。「その人のことが死ぬほど好きだったという記憶と、お金があれば結婚は続くのよ」。

「お金」はこの家族(まさかスー家ではあるまい)の物語のもう一つの大切な構成要素である。本書が書かれる大きなきっかけとしては、二〇一一年に父が株で失敗し、文京区の家を手離し、経済的に娘の軍門に降ったことが関係している。一人暮らしの父は、それでも年金の支給額以上の部屋を借りたいと娘に援助を要求してきた。娘は「いいよ」と気前よく了承する。

「私には算段があった。/「いいけど、君のことを書くよ」/金を出すと言われた手前、父も断れないはずだ。/「いいよ」/今度は父が気前よく言った」

 この父娘の商談が事実なのか、フィクションを交えているのかは正直わからない。自営業者の家庭らしく、お金にまつわるエピソードは多いのだが、このやりとりは白眉ではないか。娘が父にモデル料という名目でなにがしかを出すというのだから。私小説によって培われてきた日本の文学風土は、超高齢化社会となって著しく変貌を遂げているのだ。それをいいとも悪いともいえない。活字は新聞と週刊誌しか読まない父が、娘の書いたエッセイを銀座の焼き鳥屋で読む場面が本書にはある。劇中劇のようだ。娘は「新鮮な光景」を目にして尋ねると、父は答える。「何度も読んでるの。ママが出てるから」。この父が今度は本書を読んだら、同じように反応するかどうか。それでも娘は「父と母」の、いや「夫と妻」「男と女」の核心に近づこうとする。

 父は戦中派を自称している。「戦中派でもない奴が、戦争のことをごちゃごちゃ言うなよな。俺が戦中派の終点だよ。敗戦のときに七歳」。父の一家は東京から静岡県の沼津に疎開した。敗戦の一ヶ月前に空襲で家を焼かれる。「父が喉から絞り出す、シャーという不気味な音」は焼夷弾の風切り音だ。焼夷弾と爆弾の違いを父は娘に説明する。空襲の夜、父の一家は年老いた祖母をリヤカーに乗せて逃げる。途中で一家はリヤカーごと祖母を捨てた。この理不尽な話について語る父に、質問し、父の情動の変化を描写する手並みは見事である。ファミレスの日射しの中で、上機嫌に父は笑う。「私たちは親子だが、生きる強さがまるで違う」。

 父の戦中派話を聴き取るように、そろりそろりといった調子で、「父と母」の全体像は明らかになっていく。昭和の「家族の肖像」は、父と母からの「申し次ぎ」を受け取って、完成した。

 読み了えて、わが家のお墓参りをずいぶん御無沙汰しているなと気づいた。

新潮社 新潮45
2018年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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