[本の森 歴史・時代]『白き糸の道』澤見彰

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白き糸の道

『白き糸の道』

著者
澤見彰 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103518617
発売日
2018/05/31
価格
2,090円(税込)

[本の森 歴史・時代]『白き糸の道』澤見彰

[レビュアー] 田口幹人(書店人)

 「化ける」という言葉がある。姿を変えて別のものになるという意味だが、「作家が化ける」という使い方をする時、思いもよらないほど、いい状態に変わるという意味合いで使われることが多い。

 澤見彰『白き糸の道』(新潮社)は、その「作家が化ける」ことを実感した作品だった。著者は、2005年に『時を編む者』でデビューしてから、ファンタジー色の強い作品を発表し続けてきた。民俗学を専門に研究をしてきた著者だけに、自身のフィールドの中で編もうとするあまり、伝記や伝承を下地に据える前に、登場する人物やキャラクターの造形にストレートに反映させた物語が多かった。

 以前、紹介した『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(ハヤカワ文庫)から、作風に変化が見られた。意図的に伝承を下地に据えて南部藩の遠野という地を描くことで、一枚の供養絵額という小さな世界を鮮明に描こうとしていた点を見れば明らかだろう。これは、著者のターニングポイントとなるのではないか、という期待に応えてくれた。

『白き糸の道』は、江戸時代後期、養蚕業の発展に人生をかけた女性の物語だ。主人公のお糸は、養蚕の温度管理に、蚕当計(さんとうけい)を使用することで生産性を向上させようと考え、蚕種(こだね)商の中村善右衛門とともに製品化へ向けて各地を奔走する。田舎から江戸に出てきたばかりの者の仕事が順調に進むはずもなく、悩みもがき苦しむお糸を支え続ける浮世絵師・歌川貞秀が、節目節目に登場する。貞秀の仲介で近隣を統べていた領主親子に謁見することが、蚕当計の普及に繋がるのだった。

 中村善右衛門は、蚕当計の考案者として知られ、『蚕当計秘訣』を著した人物だ。歌川貞秀も、鳥瞰式の一覧図を描くことから、空飛ぶ絵師として知られている。実在の二人の歴史に、お糸の存在を紛れ込ませることは、江戸後期という時代を広角レンズで捉えることに繋がっていて、猫絵札にまつわる言い伝えを下地に据えることで、著者本来の民俗学の香り漂うフィールドに居ることも忘れさせない。

 さらに、本書は母と子の関係を描いた物語とも言える。シングルマザーとして働くとは何か、家庭との両立の難しさ、自分の本当の生き甲斐とは何なのか問うている。子育てをしながら働くことは、何かを犠牲にすることなのだろうか。その問いは、現代にも通じている。

 母子というごく個人的な小さな関係性を積み上げることで、広角レンズで捉えた世界を肉付けしている。漫画的な大きな小説が多い現代に、このような丁寧に編まれた物語を描く作家が現れたことを喜びたい。

 著者は、お糸と共に「己の為すべきこと」と真剣に向き合ったのだろう。本書は、澤見彰という作家の第二のデビュー作と言える。これからは、本格時代小説界のど真ん中で大いに活躍してほしい。

新潮社 小説新潮
2018年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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