『夢の器 原民喜 初期幻想傑作集』
書籍情報:openBD
[本の森 SF・ファンタジー]『粘膜探偵』飴村行/『夢の器』原民喜
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
飴村行『粘膜探偵』(角川ホラー文庫)は、戦時下の大日本帝国を史実よりも毒々しく奇怪なテーマパークにしたような世界が舞台。十四歳の鉄児(てつじ)が憧れの特別少年警邏隊(通称トッケー隊)に入ってから五日間の出来事を描いていく。
トッケー隊の任務は、不良分子を摘発することだ。初めて警邏に出た日、鉄児たちの班は、燃やさなければならない〈忌悪書〉を持っていた大学生を捕まえる。しかし、班長の行動が原因で謹慎処分になる。このままでは医学者である父と一緒に南方のナムール国へ行かなければならない。鉄児はトッケー隊員として手柄をあげて日本に留まる大義名分を得るため、ある少女が保険金目当てに殺されたという噂の真相を探る。父が高級将校と手を組んで開発する新薬と温室に運び込まれたナムールの希少植物の正体、昏睡状態の祖母が発する暗号めいた言葉、カフェーで働いていた女学生の行方……。すべての謎が解けたとき、驚くべき陰謀があらわになる。
なんといっても鉄児の家に女中として雇われている爬虫人・影子(かげこ)が魅力的だ。トカゲそっくりの顔をした影子は、生まれつき嘘がつけない。訊かれたことには何でも正直に答える彼女が、暴虐で俗悪な物語に笑いという清涼剤を与えているのだ。例えば、殴られて帰ってきた鉄児を心配して声をかけるも彼の黒歴史を暴いてしまうくだりには思わずふきだした。昭和の怪奇幻想小説のいかがわしさと平成のキャラクター小説の軽やかさを同時に楽しめる粘膜ワールドにぜひ浸ってみてほしい。
原民喜『夢の器』(彩流社)は、自らの被爆体験を書き残した「夏の花」などで知られる作家の初期幻想傑作集。昭和十年から昭和十九年まで――つまり戦前戦中に発表された作品を収めている。表題作はどこかの病院に入院しているらしい露子(つゆこ)の見ている夢の光景が映されていく。花瓣のように開く教室のドア、紙人形になっている先生、オットセイの恰好で蹲ったかつての優等生、額縁から出てきた小さな魔法使い。つらなっていくイメージはいずれも蛍のごとく小さいけれど強い光を放っていて心奪われる。魚に変身して空を飛んだ露子が最後にガラスの器を眺める場面もいい。
少年が友達に〈宇宙の裏側〉の話をする「比喩」、夜の街を死者がそぞろ歩きする「玻璃」、〈もさ、もさ、もさ、もさ〉という足音をたてる狐が出てくる「暗室」、故郷の風景を活写した「不思議」、もの忘れのひどい語り手が電車の中でとりとめもなく過去の記憶をよみがえらせる「手紙」など、ほかの収録作も時代を越えて新鮮に感じるものばかり。原民喜といえば原爆という先入観をとりはらって、混沌としていながら清潔で、物寂しく美しい〈念想〉を再発見できる。画期的な一冊だ。