岸田雪子×尾木直樹 子どものSOSに大人が気づきたい〈『いじめで死なせない』刊行記念対談〉

対談・鼎談

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いじめで死なせない

『いじめで死なせない』

著者
岸田 雪子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103520115
発売日
2018/06/18
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【『いじめで死なせない―子どもの命を救う大人の気づきと言葉―』刊行記念対談】岸田雪子×尾木直樹/子どものSOSに大人が気づきたい

[文] 新潮社

日本テレビの岸田雪子さんと教育評論家の尾木直樹さん
日本テレビの岸田雪子さんと教育評論家の尾木直樹さん

いじめを受け、絶望の淵に追い詰められている子どもを救うために、大人ができること。

子どもたちの声に耳を傾けて

尾木 岸田さんの『いじめで死なせない』を読ませていただいたんですけど、特徴があって、とってもいい本だなと思いました。これまでのいじめ問題を扱った本というと、筆者の感情が前面に出てきて、批判的なトーンが強いものが多かった。例えば、亡くなった被害者のご遺族がお書きになった手記ならば、それも当然でしょうけれど、読む方はしんどいと感じてしまうことがあるんです。この本のように、一歩引いた視点で客観的に静かに、ここまで丁寧にいじめの事件を追っている作品は、なかなかない。読みやすくて、問題の本質が理解しやすいと思います。

岸田 そう言っていただけると嬉しいです。テレビの人間なので、特に報道は事実がすべてですから、感情を排すのが癖のようになっていて。ファクトを淡々と積み上げて、視聴者のみなさんに判断いただく、というスタイルが、ノンフィクションとして、これでいいのかな、と。

尾木 そんなこと、全然心配ない。岸田さんはずっとテレビでニュースキャスターを務めていらっしゃるけど、文章の端々からそのキャスターの視点を強く感じるんです。つまり、あくまで資料に基づいた姿勢が貫かれている。事件のポイントをしっかり押さえつつ、背景や経緯を丁寧に読み解いて、問題点を浮き彫りにする。その描写は決して淡泊ではないし、自分の意見を読者に押し付けるようなこともしない。頭にくると、憎さ百倍でワーッと書きまくっちゃう僕とは、まったくの正反対(笑)。

岸田 先生の情熱的なパワーだからこそですよ(笑)。

尾木 テレビの報道番組では、「皆さん、どう思いますか?」と、視聴者に判断を委ねるスタイルが多いですね。

岸田 今までいじめのニュースを報じながら、もう一歩、本質に踏み込めていないのでは、とも感じていました。事件を取り巻く大人たちの振る舞いを検証することも大切なのですが、激化するいじめの現場で本当は何が起こっているのか、子どもたちの間でどんな言葉が交わされていたのか、被害者はどんな気持ちだったのか、そこを大人が知らなければ、いじめは防げないと思うんです。亡くなった子どもの声はもう聴くことはできませんが、友だちは何か大事なことを覚えているかもしれない。実際、子どもたちに話を聴くと、大人が気づかないいじめも、ほとんどの学校で、周りの子どもたちは知っているんですね。さらに、いじめられて絶望しながらも踏みとどまった子どもたちの言葉からは、何が彼らの救いになれたのかが見えてくる。

尾木 なるほど。この本には、岸田さんがいじめ問題の取材の中で出会った子どもたちの証言が、本当にたくさん載っていますね。どれも貴重で、興味深い。

岸田 いじめから子どもの命を守るために、大人が出来ることは何なのか。その答えを導くためのヒントを探して、少しずつですけど、取材先で彼らの声に耳を傾けるようになりました。

尾木直樹
尾木直樹さん

知っておきたい、子どもの心

尾木 冒頭で岸田さんが書かれている通り、知識は最大の防御なんです。僕もテレビとか新聞とかで、ずっと「いじめ相談」を受けてきたんだけど、子どもの発達や心理に関する基本的な知識のない親や教師が本当に多いの。

岸田 いじめに限らず、子育てでは、知っているのと知らないのとで、大きく違ってくることがありますね。

尾木 そうそう。最近はずいぶん認知されていますけど、「二歳のころにイヤイヤ言うのは当たり前」って知っているだけで、お母さんはあまり悩まずに済む。この「イヤイヤ」は二十歳まで続くわけじゃないって。

岸田 いじめへの対応も似ていて、例えば子どもはどんなに辛くても「学校を休んではいけない」と思って、ひとりで苦しんでいることがありますね。「辛ければ無理に学校には行かなくてもいい、あなたが一番大事だよ」と周りの大人が声をかけてあげられれば、楽になる子どもは増えるはずです。もしあの時にそれを知っていたら、いじめで辛い時期を過ごさずに済んだ、という声もよく聞くんです。

尾木 実際に、悔やんでおられるご遺族もいらっしゃいますよね。どうして学校に行かせてしまったんだろうと。だから、僕は声を大にして言いたいの、「学校には行かなくてもいいんだよ」って。

岸田 子どもたちにとって、教室は「世界そのもの」ですから、そこでいじめに遭ってしまうと、もう逃げ場がない。「生きる世界は学校の外にもある」と伝えることは、彼らに「心の逃げ場」を用意することになるんですね。

尾木 親たちが学歴社会の中で生きてきたものだから、わが子が不登校になったら失敗、みたいな考え方をする人がまだいる。義務教育だって、子どもが学校に行く義務だと勘違いしている親が多いのよ。私たちはもっと大きな声で伝えなきゃ。

岸田 いじめの加害者を生まないためにも、大人にできることはたくさんあると思うんです。例えば学校の教室で一人だけ動作がゆっくりな子がいた時。先生が「いつまで待たせるんだ!」と怒鳴ったりしたら、見ている子どもたちは「あの子には辛くあたっていいんだ」と真似してしまう。そうやっていじめを生む学級が作られていくことは、よくありますね。

尾木 そうなの。先生もいじめているようなものなのよね。先生がその子の良いところを見つけて、「ゆっくりだけど、とってもていねいね」と言ってあげるだけで、その子も伸びるし、周りの子もやさしくなれるのよ。

岸田雪子
岸田雪子さん

親に心配をかけたくない

岸田 この本に登場する子どもたちに限らず、いじめられた子どもはなかなか親に悩みを打ち明けてはくれません。自分も親になって痛感するのですが、子どもは嘘をつくし、大人に隠れて秘密を持つのも、成長のステップですよね。

尾木 岸田さんのお子さんは男の子でしょ。だったら、それが当たり前。でもね、女の子はちょっと違うんです。台所で母親と一緒に洗い物でもしながら、「ママ、聞いてよ」と困っていることを割と相談できるの。女性は「共感脳」だと良く言われるけど、まさに互いに共感しながらおしゃべりができる。それが男の子の場合は「解決脳」といって、問題を理詰めで解決しようとするから、何とか自分で解決できないかなと踏ん張っちゃう。

岸田 小学生でもプライドはあるし、自我も生まれますから。

尾木 しかも思春期を迎えると、自分を相対化してとらえるようになって、自身が傷ついている状況とか、苦しさが見えてしまう。そうなると、生きているのが辛くて仕方なくなる。

岸田 いじめられた子に、何で話さなかったのと訊いてみると、やはり親に心配をかけたくなかったと言うんです。親が悩みを聞いてくれないと思っているわけじゃなくて、大好きだからこそ心配をかけたくない。

尾木 それでも、よく観察していると、絶対に変化があるはずなんです。本人が意識していなくても、何かしらサインがあるの。朝、食卓で顔を揃えた時に「おはよう」を言わなくなったり、急に部活の話題が出なくなったり。そうそう、最近の中高生なら、リビングにスマホを持ってこなくなったら要注意。しょっちゅうスマホをいじっていたくせに、突然触らなくなる。あれ、ほとんどいじめに遭ってます。

岸田 スマホに、見たくない内容が書かれているわけですよね。

尾木 そう、見たくないの。いじめのメールやメッセージがいっぱい届いているから。

岸田 最近イライラしているな、とか、朝、おなかが痛いと言うことが続くな、とか。あれ? という親の勘がいじめ発覚のきっかけになることはありますね。

尾木 そんなふうにもし、あれっと思ったら、「いじめられてるの?」ではなくて、「どうしたの?」って声をかけるだけでいいんです。思春期の男の子は「別に」としか返さないでしょうけど、こちらが気にかけていることは十分伝わる。

岸田 「あなたの助けになりたいと思っている」ということは、普段からちゃんと伝えることが大切だと思います。忙しくても、一日五分でもいいから、正面から子どもの目を見て、話を聴く時間を作りたいですね。

尾木 そう。よく見ること、そして、よく聴くことね。最悪な状況に追い込まれて、自殺未遂で終わった子から話を聴くと、みんな、その時に親の顔が浮かんだと言いますね。親という存在は、自殺を踏みとどまる力にもなるんですよ。

子どもを見守る目

岸田 この本とほぼ同じ時期に出版される『尾木ママの孫に愛される方法』(中公文庫)を拝読して、いじめの問題についても、おじいちゃま、おばあちゃまの出番だなと強く思いました。

尾木 結構、役割が大きいと思いますよ。なんせ暇ですし(笑)。

岸田 著書に書かれていましたように、共働きの夫婦が増えてきて、親が子どもと接する時間が減っている中、身近におじいちゃま、おばあちゃまがいてくれると、本当に心強い。私たち親とはまた違った視点で孫を観察してもらえますし、子どもも、親には見せない顔を見せたりしますよね。

尾木 お母さん、お父さんの前では口に出しづらいことでも、ジジババなら、素直に話せる場合があるの。ずいぶん大きくなっても、「おばあちゃん、あのさ」と、自分が受けているいじめを、ポロッと打ち明けてくれたり。

岸田 中高校生にもなると、一丁前の身体つきと態度だけれど、実はすごく心は脆くて、助けを求めてる。認めてほしい、とか、甘えたい部分もありますね。そんな子どもにとって、おじいちゃま、おばあちゃまは、身近で頼りがいのある存在なんだと思います。

尾木 実のジジババじゃなくてもできることはあるのよ。近所の学校の登下校に合わせて、犬の散歩をしたり、お花に水をやったり、夏は打ち水をしたりして、通りかかる子どもたちを見守る。京都などでその取り組みは始まったんですが、他でも真似をしてほしい。同級生に小突かれていたとか、一人で落ち込んでいる様子の子どもを見つけたら、見守りの組織を通じて親御さんに話が伝わる。いじめ問題以外にも、不幸な誘拐事件だとか不審者への防犯にもなるでしょう。

岸田 私の本の最後の章では「子どもの変化に気づく、十一のきっかけ」を紹介しているのですが、子どもたちのSOSは本当に小さなものですから、親だけが気づかなければと背負うものではないと思うんですね。先生も、おじいちゃまおばあちゃまも、地域の方々もみんなの目で子どもたちを見守り、育てていくことが大切なんだと思います。

尾木 大人が気づくことで、最悪の事態を避けられる。子どもの命を守ってあげられるのは、やはり大人なんです。

新潮社 波
2018年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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