老舗眼鏡屋の主である長兵衛は、すぐれた知恵と家宝の天眼鏡で様々な企みに隠れた謎を見通す 山本一力【刊行記念インタビュー】

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長兵衛天眼帳

『長兵衛天眼帳』

著者
山本 一力 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041058763
発売日
2018/05/31
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【刊行記念インタビュー】『兵衛天眼帳』山本一力

山本一力さん

お江戸は日本橋室町、老舗眼鏡屋の当主・長兵衛のもとにふたつの相談事が持ちこまれる。ひとつは身に覚えのない罪で捕らえられた、親孝行な娘おさちの救出。もうひとつは深川の材木問屋に現れた、疑わしい書残(=遺言状)の鑑定だった。豊かな知識と洞察力、そして家宝の天眼鏡を駆使して、長兵衛は事件解決に乗り出すが——。山本一力さんの『長兵衛天眼帳』は、江戸の活気と人情を鮮やかに伝える連作時代小説。著者自身「図抜けて思い入れが深い」と語る渾身の一作について、たっぷりとお話をうかがいました。

名キャラクター長兵衛はこうして生まれた

――本書の主人公・村田屋長兵衛は、日本橋の老舗眼鏡屋の当主。商人として優れているだけでなく、学問があって見聞が広く、好奇心も旺盛。時代小説の探偵役にぴったりの人物です。

山本 日本橋室町といったら当時の経済の中心で、日本中の物と金が集まってくる土地だった。そこで百年以上続く老舗を営んでいる長兵衛さんは、並大抵の人物ではないわけだよ。しかも何度も長崎まで出向いて、最先端の知識を学んできている、かなりの知識人。そういう人物が家宝の天眼鏡をかざすことで、見えなかったものが見えてくる。そういう物語にしようと思ったんだ。科学捜査ができる時代じゃないから、人の心にどう迫るかが謎解きの肝になってくる。そのためには捜査する側も、さまざまな経験を積んできた、懐の深い人間でないといけない。長兵衛さんならその役目にもぴったりだろうと。

――村田屋にはモデルがあるのですか?

山本 つい先日まで、日本橋に村田眼鏡舗という老舗の眼鏡屋さんがあったんだ。ちょっとしたご縁からご主人と知り合いになって「ここをモデルに書かせてください」と話したのがそもそものきっかけ。ところがそのご主人が亡くなって、お店も今年の三月に閉店してしまったんだよ。本ができたら持参しようと思っていたのに……。残念だし淋しいね。

――山本作品といえば深川のイメージが強いなか、日本橋界隈を舞台にされるのは珍しいですね。

山本 日本橋という地名はそこの住人にとって、特別な響きがこもったものなんだ。当初はおれも十分に分かっていなかったけど、多くの史料に当たるうちに、江戸の中でもこれは格別な土地だなということに気がついた。そこで生まれ育って、商いをしている人間なら、土地に対する思いや誇りがあって当然。長兵衛さんのキャラクターを描くうえで欠かせない部分だから、連載時に描き足りなかった部分は、単行本化にあたってだいぶ修正したよ。

――第一話「天眼帳開き」では、そんな長兵衛のもとに、目明しの新蔵が相談を持ちこんできます。正義感が強く、事件解決のためには労をいとわない新蔵も魅力あるキャラクターですね。

山本 あの時代の目明しってのは、まあ、嫌われ者だよな。同心の旦那からもらえる給金はほんのわずかで、多くは金のためにゆすりたかりをやる。時代小説ではそういう面が描かれることが多いし、実際そういう輩もいたんだろうと思う。でもそればかりじゃないだろう。江戸の町を本気で守っていた人もいたんだってことを、新蔵を通して描きたかったんだ。特に日本橋の名だたる旦那衆を相手にするには、目明しにもそれなりの深みと重みがないといけない。

小道具が生みだす絶妙な間

――住吉町の裏店で殺人事件が発生し、被害者の老婆と親しかった十七歳のおさちが、容疑者として捕縛されます。乏しい証拠からおさちを犯人だと決めつけた目明しの巳之吉は、新蔵とは正反対のタイプです。

山本 確かに小ずるい奴だし、よこしまな気持ちからおさちを捕まえるんだけど、巳之吉も巳之吉なりのプライドを持っているんだよ。最初はただ厭な奴として登場させたんだけど、書いているうちに底にある男気が見えてきたんだ。誰かとのつながりで人間が変わり、その相乗効果で物語が動いていく。そういうダイナミックな働きを、今回あらためて実感したね。それは巳之吉と新蔵の関係だけじゃなく、長兵衛と新蔵にしてもそう。それぞれが相手に触発されて、関係が深くなっていく。現実だってそういうものじゃないかな。

――無実の罪で捕らえられたおさちを救出するため、新蔵と長兵衛は江戸の町を奔走します。犯人捜しの過程で、おさちを取り巻くさまざまな人間模様が浮かびあがり、人生が交錯していきます。

山本 キャラクターを描写するうえで大事にしたのは、お茶と煙草なんだ。あの時代、お茶を出すっていうのは大変な接待なんだよ。火の気のないところから、湯を沸かさないといけない。今とは比べものにならないくらい、接待する側の思いがにじみ出るものだったんだ。煙草にしてもそう。煙管に刻み煙草を詰めて、差し向かいの相手と火のやりとりをしながら吸う。そういう時間の流れのなかで、微妙な距離感を描くことができる。そいつがどんな煙管を持っているかで、人間の格も推し量れる。この物語では飲み食いしたり、煙草を吸っているシーンが多いけど(笑)、それは人間模様を描くうえでは欠かせないんだ。

――第二話が「真贋吟味」。木場の檜問屋の当主・矢三郎が急死し、その弟の新次郎が後見人として店の経営に携わろうとします。新次郎が持っている遺言状は本物なのか。鑑定を依頼された長兵衛は、深川を縄張りとする目明し・幹二郎に協力を求めます。

山本 新次郎と幹二郎はどちらも材木屋の次男だよな。この話ではここを大事なポイントとして描いたんだ。当時は嫡男とそれ以外とでは、相続面で天と地ほどの違いがあるわけだよね。良い悪いはともかく、世の中がそういう仕組みだった。本来は次男が長男を立てて、うまく共存できればいいけど、なかなかそうもいかない。だから、ついつい妬みを抱いてしまう。よく似た境遇に生まれついた新次郎と幹二郎を対比させることで、兄弟のあり方について考えてみたかったというのはあるね。

――幹二郎に会うため、長兵衛と新蔵は富岡八幡宮を訪れました。盆栽市の開かれている賑やかな境内の様子が、目に浮かぶように描かれています。

山本 それは嬉しい感想だね。おれがいつも気をつけているのは、読者を物語の中に連れていこうということ。これは新人賞をもらってデビューした直後、当時の編集者に言われたことなんだ。あの頃は何度原稿を持ちこんでも没にされるので、どうしてなんだと尋ねたら、「読者を物語の中に連れていくのが小説です。あなたのはまだ小説になっていません」と叱られた。そのときの教えをいまだに守っているんだ。

時代小説でしか描けない大切なもの

――家宝の天眼鏡で遺言状を詳しく調べた長兵衛はあるものを発見し、手がかりを求めて、傳七という米粒細工の職人を訪ねることになります。

山本 傳七親方は自分の職業に誇りを持っていて、権力者だろうが金持ちだろうがへつらわない。おれが子どもの頃はそういう怖いおじさんがあちこちにいたよ。さっき兄弟のあり方を語ったけど、サイドストーリーとして父と息子の関係も描いているんだ。矢三郎は自分が死んだ後も、息子の豊太郎が困ることがないように、万全の備えを取ろうとした。相談された傳七親方も息子がいるわけだから、深く感ずるところがある。最近ではあまり流行らない考えだけど、男親は一歩引いたところで、家族のために力を尽くすものなんじゃないか。そういう生き方もあるんだということを、矢三郎を通して感じてもらいたい。

――江戸時代と現代では、家族のあり方や人との距離感が違っています。福島屋をめぐる物語は、この時代でなければ生まれなかった人間ドラマですね。

山本 やっぱり時代小説でなければ描けないことっていうのがあるんだよな。今回描いた兄弟や父と息子というテーマにしても、時代小説だと自然にドラマツルギーに落としこめる。おれが大人たちから叩きこまれた大切なことを、説教ではなく、物語として描けていけたらいいなっていうのはいつも思うね。

――それぞれのキャラクターの思いを汲み取った結末に感動しました。長兵衛が鈴焼きというお菓子を焼きながら、事件について語りあうシーンも印象的ですね。

山本 この物語にどうけりをつけるかで、おれ自身の度量を問われているなと感じたよ。悪人を成敗して終わるような、単純なけりのつけ方では読者も納得してくれないと思ったんだ。どう落とし前をつけるべきか、書きながらすごく考えたね。鈴焼きはうちのかみさんが出してくれたアイデア。人がものを考えるときには煙草を吸ったり、寝転がったりいろんなやり方があるわけだけど、長兵衛さんにとってはそれが鈴焼きを焼くことなんだ。長兵衛さんという人物を特徴づけられる小道具だし、物語の締めくくりにもちょうどいい。今後シリーズが続いていくとしたら、鈴焼きが出たらそろそろ物語が終わるという合図になっていくと思う。

――ぜひ続きをお願いします! 長兵衛と新蔵の活躍をもっと読んでみたいです。

山本 アイデアは豊富にあるんだよ。このあいだ取材で中国の西安に行って、『西遊記』の三蔵法師に縁が深い大雁塔という塔を見物してきたんだ。そこでひらめいたネタに長兵衛さんの蘊蓄を絡めて、ミステリーが一本書けそうだなと思ったね。新蔵が持っている貴重な銀煙管の由来についても書きたいし、機会があればぜひ書き続けていきたい。ここ数年書いたシリーズのなかで、図抜けて思い入れの深い物語だから。長兵衛さんというキャラクターが、おれにとってはとにかく大きいんだよ。

――忘れがたい名キャラクターだと思います。豊饒な時代小説、堪能させていただきました。最後に読者へのメッセージを。

山本 時代小説っていうのは、あくまで人が主役。お茶や煙草や菓子といった小道具はあくまで脇役であって、主役を食ったりはしないんだ。そこが、小道具が主役になりがちな現代ミステリーとの違いだと思う。だからこそ時代小説では人間を描くってことを深くやれるんだよ。この『長兵衛天眼帳』でもそう。長兵衛さんに持ちこまれたふたつの事件を通して、人びとの心の奥底まで描くことができたと思っている。それが影響し合い、物語が転がっていくさまを味わってもらえたら嬉しいし、時代小説ってやっぱり面白いなと感じてもらえたらいいね。

 * * *

山本一力(やまもと・いちりき)
1948年高知県生まれ。高校卒業後さまざまな職業を経験した後、97年「蒼龍」で第77回オール讀物新人賞を受賞してデビュー。2002年『あかね空』で第126回直木賞を受賞。時代小説を中心に旺盛な執筆活動を続けている。著書に「損料屋喜八郎始末控え」「ジョン・マン」「龍馬奔る」などのシリーズのほか、『大川わたり』『だいこん』『ずんずん!』『サンライズ・サンセット』など多数。

取材・文=朝宮運河 撮影=ホンゴユウジ  取材協力=江東区深川江戸資料館

KADOKAWA 本の旅人
2018年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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