第7回ポプラ社小説新人賞受賞作――前川ほまれ『跡を消す 特殊清掃専門会社デッドモーニング』

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跡を消す

『跡を消す』

著者
前川 ほまれ [著]
出版社
ポプラ社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784591159866
発売日
2018/07/13
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

第7回ポプラ社小説新人賞受賞作

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 新人賞の選考をするときは、構成や表現など、小説の技法をチェックしながら読む。採点しなくてはならないのだから当然だ。だが時々、採点を忘れて物語に入り込んでしまうことがある。たとえば、寺地はるなの『ビオレタ』がそうだった。審査だという意識が完全に抜けて、一読者として物語にどっぷりハマった。それだけの力があるのだから受賞は当然で、選考過程でそのような作品に出会うのは本当に嬉しいものだ。
 そして今回、またそんな幸せな出会いがあった。それが本書、前川ほまれ『跡を消す 特殊清掃専門会社デッドモーニング』である。
 フリーターの青年・浅井が、ひょんなことから特殊清掃会社で働き始めるという物語だ。特殊清掃とは、孤独死、殺人、自死などなど、なんらかの理由で看取られることなく亡くなり、時には長時間放置され、死の痕跡が残った場所を洗い清める仕事である。
 読み始めてまず、特殊清掃という仕事のディテールに興味を惹かれた。そういう仕事がある、というのはなんとなく聞いたことがあったが、つぶさに描かれるその仕事内容は知らないことばかりで驚きの連続だ。
 強烈な腐臭、うごめく蛆や蝿。まえもって殺虫剤で殺しておいた蝿の死骸を掃くところから仕事が始まるなど、想像もしていなかった。布団に残った人の形の滲み。その体液は、布団からさらに畳、床下へと滲み通る。あるいは、こびりつき、固まる(この手の描写が苦手な人も心配はいらない。理由は後述する)。細菌の温床でもあるそんな痕跡を完全防備の上に特殊な薬品で洗浄し、遺品の仕分けをする様子が詳しく描かれる。
 本書に登場する五つのケースはどれも状況が異なり、仕事の進め方も違う。具体的な作業は、誰がどのように亡くなり、清掃を依頼してきたのが誰かで大きく変わるのだ。そこに人間ドラマが生まれる。これがふたつめの読みどころだ。
 後に迷惑をかけないよう、シートを敷き紙おむつを穿いて縊死した青年の遺品を片付ける母親。事故による婚約者の突然の死を、一年経っても忘れたいのか忘れたくないのかわからない女性。オタクの弟の遺品の中に、金目のものが残っていないかだけを気にする兄。小さな子を道連れにした母を悼み、悲しむ大家……。
 人の数だけドラマがある、というのは使い古された陳腐な表現だが、ここには人の死の数だけドラマがある。特殊清掃員の仕事は、死の〈痕跡〉を消すことだ。だが汚れは消せても、決して消せないものがある。消えないものがある。本書は浅井が、その〈消えないもの〉の存在に気づくまでの物語と言っていい。
 これがみっつめの読みどころに通じる。浅井の成長を通して、死とは何か、を本書は考えさせてくれるのである。
 前述したように、特殊清掃の現場の描写はなかなかにエグい。だが不思議なことに、嫌悪感も忌避感もまったく感じなかった。気味悪さや恐ろしさより、悲しみの方が強く立ちのぼるのだ。
 序盤、仕事初体験の浅井があまりの惨状に嘔吐し、這々の体で逃げ出すのを読むと、かえって「早くきれいにしてあげて!」という気持ちになった。遺品は全部捨てていいという遺族の言葉に、本当にいいの? と問い返したくなった。なぜか。
 そこに人が生きていた、というのがわかるからだ。
 浅井たちが現場に赴くときには、もう遺体はない。そこで暮らし、そこで亡くなった〈痕跡〉があるだけだ。だがそれがいっそう故人の最期を浮かび上がらせる。どんな人だったのか、部屋が語る。家財道具が語る。何が好きで、何をしたくて、何が苦しくて、何を思って死んでいったのか、その思いが〈痕跡〉に宿る。浅井たちが向き合うのは単なる汚れではなく、そこに自分と同じように、何かを大事に思いながら生活していた人がいたという、厳然たる事実なのである。死は私たちにも、私たちの大切な人にも、等しく訪れる。浅井たちが清掃している場所は、私や私の大切な人が生活した場所かもしれない。だから気持ち悪くも怖くもないのだ。ただただ、悲しいのである。
 遺品を乱暴に扱った浅井に、社長・笹川や廃棄物処理業者の楓が口を揃えて「誰かが大切にしているものを、自分も同じように大切に扱う」ことの難しさを説く。そして事務の望月は故人の思いを汲む想像力がこの仕事には必要だと言い、「その想像力は優しさとか思いやりって言い換えられるかもしれない」と浅井に告げる。
 これが、著者がこの物語に込めた思いだ。
 他者に興味がなく、ただモノとして清掃していた浅井。だが自分もモノのように扱われたりという経験を通し、少しずつその想像力を養っていく。そしてその想像力は──優しさや思いやりという名の想像力は、故人だけではなく今生きて目の前にいる誰かにも向けられるようになるのだ。その過程の温かさ、力強さたるや!
 死とは何か、死によって残るものは何かを問いかけながら、物語はいつしか〈生きていく者たち〉を描き出す。自分と同じように他者を大切に思うこと、その想像力を持つこと。浅井たちが汚れをきれいに落としたあとには、そんなメッセージが残る。
 その〈跡〉は、読者の胸から決して消えない。

ポプラ社
2018年7月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

ポプラ社

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