美しいクライマックスと、思わずプロローグを読み返してしまう仕掛けを見よ!
[レビュアー] 宇田川拓也(書店員/ときわ書房本店)
物語の冒頭、広々とした港の公園に初夏の風が吹く。周囲の情景が輝き、何気ない日常が愛おしく思えてくるような、よく晴れた午後にふさわしい気持ちのいい風だ。
森沢明夫『キッチン風見鶏』は、まさにそんな風のように清々しく、身の周りの小さな幸せを見つけながら、ひとが自分の心を偽ることなく生きることの大切さを示してくれる作品である。
異国情緒漂う港町で三代続く小さな老舗洋食店の名前をタイトルに冠した本作は、一見すると食を通じて人情を高らかに謳い上げるハートウォームな物語を想像させるが、読み始めてみると確かに和牛の熟成肉料理や国産レモンのクリームパスタといった料理も出てくるものの、むしろフィクショナルな要素が大胆に取り入れられている点に目を惹かれる。
物語の中心的人物であり、「キッチン風見鶏」でウエイターをしながら漫画家を目指している坂田翔平は、「幽霊が見える」という特殊な能力を持った青年だ。この翔平にだけ見え、雨が降るとよく店内に現れる「雨の日の幽霊」という謎めいた存在が、祟りや災いをもたらす怨霊ではなく、やさしい幽霊が登場する、いわゆる「ジェントル・ゴースト・ストーリー」の系譜に連なる物語として機能しており、従来の森沢作品ファンは意表を突かれることだろう。
また、ひょんなことから翔平と親しくなる「港の占い館」の“外さない占い師”宮久保寿々も霊を見ることができ、このふたりが物語の終盤で、なぜか風が吹いてもシンボルの風見鶏が動かない「キッチン風見鶏」に秘められた謎を明らかにする展開が、大きな読みどころのひとつとなっている。
森沢明夫は、印象的な登場人物たちを駆使して様々な人間模様を描きながら、これまでの生き方や物事の捉え方を読者に振り返らせ、改めて身近な幸せを気づかせることに長けた小説家だ。本作ではこの役割を、店の現オーナーである鳥居絵里、絵里の母親で病を抱える祐子、常連客のひとりで八歳の息子を育てるシングルファーザーの手島洋一といったキャラクターたちが担っており、そのパートだけでも充分に魅力的な物語になっている。山本周五郎のごとく「人間かくあるべし」と背筋がぴしりと伸びるほど仰々しくはないが、「もっと力まずに前を向いて生きてもいいんじゃない?」と温かな声を掛けてくれるような、森沢作品の美点がすでにして存分に発揮されているのだ。
では、あえてこの「霊が見える」という特異な設定にしたことが、その美点に及ぼす効果とは果たしてなにか。それは「自身の能力(個性)を活かすことの素晴らしさ」と「時を超え、命を超えてつながる夢や想い」を明確化することに尽きる。
霊が見えることでかつていじめを経験した寿々のように、ひとと違うということは、ときに手ひどい扱いを受け、自身を否定されるような辛い思いをすることでもある。しかし、寿々が翔平という同じ能力を持つ者と奇蹟的に出会えたように、この世界にはまだまだそのひとに訪れていないチャンスや幸福がきっとたくさんあるはずだ。その能力や個性が最大限に活かされたとき、誰かが強く願った想いや夢、あるいは約束が、個人で終わることなく引き継がれ、叶えられていくことを、森沢明夫はてらいなくまっすぐに教えてくれるのだ(あの美しいクライマックスと、思わずプロローグを読み返してしまう仕掛けを見よ!)。
初代から伝わる「キッチン風見鶏」のモットーは、お客さんが来店したときよりも、帰るときの方が「いい顔」になっていれば、合格―だった。それに倣うなら本作は、読者が読み始めたときよりも、読み終えたときの方が「いい顔」になること請け合いの物語といえる。
ちなみに本作には、著者が生まれ育ち、いまも活動の拠点としている千葉県船橋市を舞台にした『きらきら眼鏡』との接点が盛り込まれている。犬童一利監督による映画『きらきら眼鏡』の劇場公開が九月から始まるこのタイミングならではの心憎い趣向だ。未読の方は、ぜひそちらにも手を伸ばしていただくと、本作の面白さがよりいっそう膨らむことをお伝えしておく。