『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』
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ボルネオ島の狩猟民プナンの“所有”という概念がない生活
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
持ち物に名前をつけ、人のモノを使ったら「ありがとう」と言い、もし壊したら「ごめんなさい」と言う。集団生活を始める子どもにまず教えるのはこれだが、それをしつける必要のない場所がボルネオ島の森のなかにある。狩猟民プナンは「ありがとう」も「ごめんなさい」も言わない。言う必要がないのだ。フィールドワークでそれを知った人類学者の著者は驚愕する。
プナンの社会では、物も知識も能力も個人の持ち物ではなく、集団に属する。だから猟の成果も均等に分配される。熱心に働こうが大きな貢献をしようが得られるものは同じ。となると向上心がなくなるのではないか。その通りで、彼らには生活をよくしようとか、ダメなところを改善しようという考えがない。人生でなにより重要なのは生き抜くことで、それ以外の欲は捨てている。
死に対する考えもちがう。だれかが亡くなると遺族のほうが名前を変え、死者の持ち物を処分し、その名を口に出すのを控える。それでは死者を弔えないが、彼らはそうは考えない。死者に心が動くと生者の生活が滞る。そういう状況を減らし、生きることに邁進するのだ。
動物に近い暮らしのようだが、実際、彼らの生きる現場は熱帯の森である。話をしていても、人のことを言っているのか、動物のことを言っているのか、線引きが不明解なことがよくあると著者は言う。それほど動物との関係が接近している。
よく知られるように、私有財産は農耕によって始まった。努力して成果をあげたり、モノを蓄えたりすることも、それを支える自己という概念も、遡ればそこにゆきつく。
狩猟採集の暮らしは獲物との出会いがすべてだから、努力よりも勘や身体能力がものを言う。そういう暮らしは心積もりや備えをするのが困難だ。不安はないかと思うが、「不安」を感じる心そのものが近代社会の生みだしたものなのかもしれない。