『哀しき父 椎の若葉』
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“異質”な鎌倉文士 葛西善蔵の破綻ぶり
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
【前回の文庫双六】鎌倉でみつけた恋よりも特別な繋がり――北上次郎
https://www.bookbang.jp/review/article/555534
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綺羅、星の如く並ぶ鎌倉文士たちの中から、少しばかり異質というか、鎌倉の上品なイメージからやや逸脱した作家を取り上げたい。
葛西善蔵が鎌倉で暮らし始めたのは1919年末、作家32歳のときだった。妻と3人の子を青森の実家に残しての一人暮らしである。閑静な禅寺の塔頭(たっちゅう)(小院)に暮らして執筆に励むのだから、悟りの境地に至りそうだ。
だが何しろ骨の髄からの私小説作家にして、生活破綻者・葛西のこと。そんな環境もたちまち、悲惨な泥沼状態に転じてしまう。
カギとなるのは「おせい」の存在だ。ふもとの茶屋の娘おせいが登場するのは、建長寺境内に暮らし始めた日々を描いた「暗い部屋にて」である。
「おせいは二十で、背丈の低い、肥えた、頬の赤いまったくの田舎娘だ。角い幾らかお凸の額の下の小さな眼を臆病らしく輝かして、私にお辞儀をした。このおせいがその晩から三度々々S院の石段を登って来て私のところへご飯を運んでいるのだ」
おぼこな娘が眼を「臆病らしく輝かして」いる。その眼光が以降の展開を予告するかのようだ。葛西は気を引かれている様子ではない。だがどうもおせいのほうは、ふらりと現れたこの作家先生に一目惚れしたのではないか。
毎日、朝昼の出前と給仕に加え、夜は大酒を喰らう癇癪もちの作家の相手をして12時近くまでお酌をする。ただならぬ献身ぶりである。
やがて葛西はその気もなかったはずなのに、おせいを孕ませ、何の潤いもない極貧の同棲生活に入る。「自分は、おせいとの関係を呪いたい」(「湖畔手記」)といいながら、彼女を虐げ続けるのだ。
「生活の破産、人生の破産、そこから僕の芸術生活が始まる」(舟木重雄宛書簡)。まさに有言実行の作家魂というべきか。だがその文章は意外にも、ひそかなユーモアと諦観をはらみ、ときに清澄さに達している。