『無限の玄/風下の朱』
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女性だけの野球部が舞台 ジェンダー問題を考える好著
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
〈私〉が明水(めいすい)大学に入学し、侑希美(ゆきみ)というフェミニンな容姿の女性に野球部に入らないかと勧誘される場面から、古谷田奈月の中篇小説『風下の朱』の物語は幕を開ける。このシーン、ほとんどの人が、〈私〉は男性で、侑希美は野球部のマネージャーだと思うのではないだろうか。ところが、どっこい。〈私〉は女性だし、侑希美は部長で、しかも、四番キャッチャーなのだ。
その他の明水野球部の部員は、二番ファーストの杏菜と三番サードの潤子。ここに、中高時代に一番セカンドだった〈私〉を含めても、たったの四人。というのも、侑希美には確固たる信条があったから。野球をやりたい人なら誰でもいいのではなく、〈病〉に冒されていない〈健康な女〉でないと、侑希美の厳しいおめがねにはかなわないのだ。大勢の選手を抱え、和気あいあいと練習に臨んでいるソフトボール部は、〈病気も持ってるから〉〈連中の風下に立たないで〉と説く侑希美。野球に対する、侑希美の純粋な情熱に惹かれる〈私〉が、彼女の信条に引っぱられていく一方、杏菜と潤子はついていけなくなっていき――。
侑希美に対置される存在が、〈前例のないことに挑戦しようとしてる〉侑希美を〈英雄のような人で、私たちみんなのリーダーだ〉と賞賛する、考え方が大らかで柔軟なソフトボール部の遥。彼女の登場によって、この物語が先鋭的フェミニズムとゆるやかなそれのありようを描いていることがわかる。
どちらかが正しいわけではなく、双方が存在するからこそ、フェミニズム運動は豊かに展開していくであろうことを示唆する幕切れが爽やか。併録されている三島賞受賞作の『無限の玄』は女性の特権である出産(増殖)に対する、男性サイドからの異議申し立てが描かれている。女性しか登場しない本作と、男性しか登場しない後者。併せて読むことで、ジェンダー問題についてより深い視点が獲得できる一冊になっているのだ。