〈特別対談〉ふみふみこ×浅野いにお――あの頃、私たちはひとりぼっちだった

対談・鼎談

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愛と呪い 1

『愛と呪い 1』

著者
ふみ, ふみこ, 1982-
出版社
新潮社
ISBN
9784107720856
価格
704円(税込)

書籍情報:openBD

〈特別対談〉あの頃、私たちはひとりぼっちだった 90年代を通った二人が語り合う 家族、孤独、生き延び方――ふみふみこ×浅野いにお

[文] 新潮社


東京のはずれで抱いた「たったひとり」感が忘れられない(浅野)

――ふみさんは酒鬼薔薇聖斗、つまり「少年A」と同じ一九八二年生まれで、浅野さんは八〇年生まれです。同世代のお二人にとって、一巻の舞台となった九〇年代はどのような時代でしたか。

ふみ 九〇年代後半には酒鬼薔薇だけでなく、阪神淡路大震災や地下鉄サリンなど悲惨な事件が色々と起こっていたし、世紀末ということもあって世の中全体が終わりの予感に囚われていましたよね。いま考えるとぜんぜん論理的な話じゃないけど、大きな事件が続きましたから。
 この作品を描いてみて、思春期の自分が家庭内で感じていた息苦しさと、あの時代特有の閉塞感はシンクロしていたんだと改めて気づきました。成長過程でこういうことが起こってたらそりゃ暗くなるよな、って。

浅野 酒鬼薔薇事件の九七年とかになると、僕は高校生で、ふみさんは中学生。当時ってコギャルブームど真ん中だったでしょう。だから閉塞感の上に空騒ぎ的な雰囲気もあって。
 ブームの中心が高校生だったので、反作用というか、それに乗っかれない若者たちっていうのはとにかく居場所がなかった。まあ、当時のコギャルだって「女子高生」という狭い価値の中に自分を無理矢理当てはめていただけなのかもしれませんけど。

ふみ パソコン通信やってる人でもなければ、ネットで仲間探しもできなかったですからね。

浅野 いまみたいなSNSもないし、地方にいっちゃうと本当に文化がない。何もないけど、行き詰まりの中で疎外されている感じだけはある。それが根っこに残ってるから、二〇〇〇年代に二十代になった自分が漫画を描いていても、そのままずっと同じ思考を続けていたわけです。「何もねえな」って。
 そうしたら編集の人に「ぐるぐる悩んでるだけのキャラクターじゃダメ、嘘でもいいから一歩踏み出せ」って言われたんです。連作の『素晴らしい世界』が最初の単行本なんですけど、あれオチは全部編集のアイディアで。大人たちのニーズには合っていたのかもしれないけど、正直、当時の自分たちに「一歩踏み出す」みたいな感覚ってリアリティなかったんじゃないかと思うんですよね。

ふみ その閉塞感は二〇一〇年代になった今でも残っていますか?

浅野 根本の部分は変わらないですね。僕が話をしてて噛み合う人って、同世代が多いんですけど、その特徴って何なんだろうってずっと考えていて。やっぱり暗いんですよね、みんな。

ふみ わかります!

浅野 それが感じられると、すごく信頼できる(笑)。

ふみ 三十歳アンダーくらいの世代から、急にみんな明るく振る舞うようになるじゃないですか。年下の漫画家の子によると、「最初から絶望してるから」なんだって。将来の夢もなければ給料も低くて当たり前で、この先状況がよくなるなんて想像もしてない。自分の漫画も売れるなんて最初から思ってないし、挑戦はするけど無理だったらスーパーで働けばいいや、くらいに思っている。現実をすごく見てるんですよね。

浅野 なるほど。

ふみ 私とかは漫画って超売れるものだと思ってた世代だし、夢も未来もあったはずなのになぜなくなっちゃったの、みたいな状況だから暗くなるのが現状なんですけど。その子たちは、たとえば「いかに目の前の萌えを全力で消費するか」に疑いがないというか。

浅野 疑いなく突き進めるってことですよね。

ふみ 決定的に違うからこそ憧れます。「暗いネアカ」というべきかもしれませんが。

浅野 二〇〇〇年代にオタク文化が世の中にすごく浸透して、今ってもう「みんなが何かのファン」みたいな状態じゃないですか。なんだか楽しそうだし、僕はいいことだとは思ってますけど。

ふみ 漫画の業界でも後追いっていうか、これがウケるからというのが増えていって。新人だったら、そうじゃなければ企画自体が通らないです。

浅野 別に乗っかってもいいじゃん、みんなが面白いって言ってるからいいじゃん、ってなったのもここ十年くらいの話なんで。

ふみ 「誰もが誰かの好きなものにアクセスできる」という、ネットの影響力も大きいですよね。

浅野 ネットが十代のときにあったらどうだったかな……。僕が大学進学で上京したときって、携帯電話ですらギリギリみんな持ち始めた、くらいの時期だったんですよ。引っ越してきて、東京のはずれで抱いたあの「たったひとり」感が本当に忘れられない。そういう完璧な孤独みたいなものが今なくなってるんですよね。

ふみ もはや貴重な経験です。

浅野 だから「自分らしさ」とか「自分であること」みたいなものにいちいち引っかかるのは、たぶん僕らくらいの世代で一回終わってるだろうな、と思いますね。
 でも、やっぱりネットのなかった時代と今を比較すると、絶対今の方がいいですよ。『ぼくらのへんたい』の登場人物たちだって、周囲に理解されない事情を抱えつつも、ネットがあったからああして出会えたわけだし。

ふみ そうか。ネット特有のつらい部分もあるけど、たしかに他者とつながってるっていうのはありますもんね。

構成=餅井アンナ 写真=広瀬達郎

新潮社 yom yom
vol.51(2018年7月20日配信) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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