【刊行記念対談】疎遠だった父が、死んだ――。愛による呪縛と、愛に囚われない生き方を探る野心的長編『不在』彩瀬まる×南Q太

対談・鼎談

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不在

『不在』

著者
彩瀬 まる [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041049105
発売日
2018/06/29
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【刊行記念対談】『不在』彩瀬まる×南Q太

幼いころに別れた父が亡くなり、明日香にはかつて家族で暮らした洋館が遺された。屋敷にちらばる父の痕跡を整理するにつれ、うまくいっていたはずの仕事や恋愛にきしみが生じはじめ——。彩瀬まるさんの二年ぶりの長篇小説は、喪失と再生を描いた意欲作。漫画家である主人公にちなみ、彩瀬さんが長年作品を愛読してこられた、南Q太さんとの対談が実現しました。

子どもが親への愛着を切るために

彩瀬 私、中学生くらいから南さんの漫画を読みこんでいたんです。『こどものあそび』とか『クールパイン』とか、クラスの子みんなで読んでいました。「イケてる青春送っているなあ」と思いながら。

南 わあ、そうなんですか。私もイケてる人たちのことは分からないので、無理やり背伸びして描いていたんですよ。

彩瀬 私にとって可愛い子といえば南さんの描く女の子で、『こどものあそび』に出てくるバーのチーママのシホちゃんのまつ毛がバサッとなった横顔をずっと憶えていました。特にけだるい感じの美人の子がすごく好きです。

南 ありがとうございます。彩瀬さんの新刊の『不在』は漫画家が主人公ですね。

彩瀬 お話を作る人を主人公にしようと思った時、小説家だと自分に近すぎる気がして。「これは作者自身の話じゃないか」と思われていい話とそうでない話があって、これはそうでないほうかなと思いました。漫画家さんにすれば、お話を作る人の話にもなるし、アシスタントの子も登場させられるなと思って。

南 ああ、小説家にはアシスタントはいないけれど、漫画家にはいますからね。

彩瀬 漫画家さんのお仕事エッセイを読みこんだり、作画の手順を知るために『バクマン。』とかも読みました。主人公の明日香は南さんのように複数の出版社で仕事をしている漫画家にしたくて、どんなふうに単行本を出しているか、南さんを参考にしたんです。

南 そうでしたか。ひとつの雑誌の専属みたいになる漫画家も多いですからね。読みながら、この主人公はどのあたりの雑誌で連載しているのかなと想像していました。作中に出てくる漫画のストーリーも面白かったですね。こんなに作り込むなんて、すごいなと思って。もちろん、主人公自身の話もハラハラしながら読みました。

彩瀬 ありがとうございます。漫画家の明日香の父親が死んで、遺された一軒家の遺品を恋人と一緒に整理するという話で……。

南 恋人の冬馬は年下のヒモだけど、悪い子じゃないんですよね。偉そうにしてないし、食事のおかずを一品足せとか明日香に文句言われちゃってるし(笑)。

彩瀬 はい。私は千葉生まれなんですが、祖父母の家を思い出すと、祖父が一番偉くて次が長男の父で、祖母は家政婦さんのようで家のことの決定権がなかったんです。でも祖母もそういうものだと思っていたらしく、波風は立ってなかった。でも自分が成人して振り返ると、なんで祖父はあんなに偉そうにしていたんだろうと思う。ただ、これは一昔前の男尊女卑というだけでなく、今の人たちだってきっかけ一つで起こりうることだとも思いました。コミュニティにヒエラルキーができるって普遍的な話なので。

南 彼女自身はそういう祖父母や両親の姿を見てきて、「おかしい」と思うのでなく、いつのまにかそれを自分の中に取り入れちゃっている人なんですよね。

彩瀬 そうです。「こういうことはありえるだろう」と思いながら書きました。以前、『あのひとは蜘蛛を潰せない』という小説で、高圧的な母親と共依存的な関係だった娘の話を書いたんです。最終的には母親と距離を置くことで関係がほぐれていく。それ以外の解答が見出せなかったんですね。今回も、自分を傷つけた親に対して子どもが愛着を切るために感情を整理する話ですが、何か別の方法を考えたくて。それもあって父親と娘の関係にしたんです。

南 うん、父と娘というところが、すごくいい感じ。母と娘だとガチになるけど、父親となると、主人公にも一緒にのんびり散歩したとか、いいイメージが残っている。

彩瀬 母親とはのんびり散歩したイメージにならないですよね。一緒に歩いた回数は父親の百倍あるだろうけれど、だいたい送り迎えの記憶になってしまうから。

自分で自分を分かる瞬間がいい

南 作中の漫画のストーリーについて、主人公が編集者とハッピーエンドにするかどうかで衝突するところなんかは、胃をキリキリさせながら読みました(笑)。

彩瀬 私がデビューした時に授賞式の後の飲み会で出席者に「結婚してるの?」と訊かれて「してます」と答えたら、「次は離婚だね」って言われたんです。

南 ええっ?

彩瀬 「不倫もあるよ」とか。ネタになるような波瀾万丈の人生を期待されている感じがあって。最近はそういうのはなくなりましたけど。

南 今の時代だったら問題発言ですね。ああ、でも私も昔は「結婚して描くものが変わったね」と言われた気がする。そんなの全然関係ないのに。

彩瀬 本当ですよね。それが頭にありました。それと、作中で編集者が指摘するように「たまたま運命の人に巡り合えたから幸せになった」という文脈だと、お話が弱いとは私も感じるんです。その人個人が幸せになれる能力を獲得したから幸せになれるのであって、自分の外にある存在によって幸せがもたらされるのでは、その存在と少しでもうまくいかなくなったら破綻しちゃうのではないかなって。そうではなく、それぞれに個人で幸せになる力をもっと追求してほしいなと思い、作中のストーリーもああいう結末にしました。

南 もう、彩瀬さんの言う通りだと思います。それと、暴力を振るう場面が出てくるじゃないですか。びっくりしちゃって。

彩瀬 人を殴る場面は最初から書くつもりでした。今まで重要人物が人を殴る場面を書いたことがなかったので、ちょっと頑張ってみようと思いました。

南 最初のほうから、溜めて溜めて溜めて……ここで殴るのかっていう。あの時間的な配分もすっごくよかった。描写もリアルだし、殴ったほうが泣いてしまうところも、すごく身近に感じて「この子この先どうなるんだろう」って思わせますね。

彩瀬 殴って関係が破綻してはじめて、この人は息を抜けたんですよね。それまで息抜きできるところがなかったんだな、って。

南 その瞬間、今まで「自分は間違っていない」と思っていたのが、「あ、間違っているかも」と分かるじゃないですか。私は自分で自分を分かる瞬間って、ストーリーの中ですごく大事なポイントだと思うんです。そういう箇所を読むとハッとする。

彩瀬 あそこでようやく自分を取り巻く問題が分かったんですよね。

南 だから本当にいいシーンだと思う。愛情を深めるシーンと同じくらい、仲違いするシーンっていいなと思う。しかもその後、それぞれちゃんと向き合うじゃないですか。あれっきりだったら可哀相だったけれど。

彩瀬 そうなんです。これで安易に関係が修復されてもおかしな話だし、殴ったからといって何かが手に入るわけではないし……。そこは書きながら分かっていく部分がありましたね。なので最初に作ったプロットは完全に崩れていきました。

南 そういうものですよね。最初に編集者に「こういう感じで描くから」と説明しても、だいたい「違うものができちゃいました」となる。だから私の場合、最初からプロットはないですね。

彩瀬 ずっと面白いものを描いてこられて、実績と実力が確かだからそれで話が通るんだと思いますよ。

南 いやいや。たとえば『POP LIFE』は二十五年のつきあいになる担当から「最近、飲み食いする漫画が流行っているからああいうの」と言われたんだけど……。

彩瀬 確かに最初は美味しそうな食べ物が出てきますが、だんだんその描写がなくなっていきますよね(笑)。シングルマザー同士が同居する話ですが、子どもたちが爆裂に可愛いかったです。南さんが描く子どもも好きです。うちは今娘が三歳なんですけれど、『ひらけ駒!』など読むと、子育てが楽しみになります。

南 今のうちに楽しんでください。うちは下がもう五年生なので遊んでくれません。

彩瀬 私はツイッターに子育ての愚痴しか書いていないんですけれど、あれは「子育てのエッセイのネタたくさん持ってますよ」というアピールなんです。でも、誰も拾ってくれない(笑)。

南 子育てはね、いろんな悩みがあるから、ずんずん行っていいと思います。

今後の意外な展望

彩瀬 ところでその『POP LIFE』のあとがきに、今後海外に移住するとあってビックリしたのですが……。

南 そう、もうすぐベルリンに行く予定です。アーティストビザを取って、居られるだけ居ようと思っているんですよね。

彩瀬 なぜそのような決断を?

南 今の漫画業界って編集者も二言目には「売れない」と言うけれど、みんな雑誌も本も作って忙しいから、それにかまけて何の手も打たない。そういうのにうんざりしていた時に、装丁家の矢萩多聞さんたちが紹介されていた、南インドの「タラブックス」という小さな出版社を知って。インドの社会で弱い立場の人々とともに、フェアな働き方を切り拓きながら手刷りで絵本を作っているところなんですけど、話をきいて、ちょっと感動してしまったので。昔の方程式のまま出版社におんぶにだっこでやってきたけれど、作家側も動いたほうがいいんじゃないかと思ったんです。

彩瀬 向こうで別の形で本を出す方法を模索するということですか。

南 うん。漫画の市場として大きいのはフランスなんだけれど、ドイツのほうが移民も多いし小さい出版社もいろいろあるので、持ち込みしようと思っています。

彩瀬 お子さんたちも一緒にですよね。すごいな。大変なこともあるかもしれないけれど、楽しんでください。

南 はい。歳とると、やりたいことが増えますねえ。

彩瀬 私もやってもいいと思えることが増えていく感じがします。ああ、中学生の時から憧れていた人にお会いしたらイメージを裏切らない方で、なんかすごい(笑)。

南 こんなんで大丈夫でしょうか(笑)。今日はありがとうございました。

 * * *

彩瀬まる(あやせ・まる)
1986年千葉県生まれ。2010年「花に眩む」で女による女のためのR-18文学賞読者賞を受賞しデビュー。繊細な描写でつむがれる彩り豊かな作品世界が支持され、16年『やがて海へと届く』が野間文芸新人賞候補、17年『くちなし』が直木賞候補となった。他の著書に『桜の下で待っている』『眠れない夜は体を脱いで』などがある。

南 Q太(みなみ・きゅうた)
1969年島根県生まれ。92年「YOUNG HIP」掲載の連載「あそびにいこうよ」で漫画家として活動を開始。94年、週刊ヤングジャンプ新人賞に佳作入選。その後「FEEL YOUNG」「Zipper」などの女性誌にも活躍の場を広げ、『さよならみどりちゃん』『クールパイン』『こどものあそび』『ひらけ駒!』など、著書多数。最新刊は『POP LIFE』。

取材・文=瀧井朝世 撮影=ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2018年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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