【文庫双六】湯ヶ島の河鹿に託した梶井の熱情の切なさ――梯久美子

レビュー

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湯ヶ島の河鹿に託した梶井の熱情の切なさ

[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)

【文庫双六】文学者と温泉は縁が深い そして逢びきの場にも――川本三郎
https://www.bookbang.jp/review/article/556388

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 伊豆の湯ヶ島温泉に、梶井基次郎の文学碑がある。素朴な自然石に、この地から川端康成に宛てた手紙の一節が、梶井本人の端正な文字で刻まれている。

〈山の便りお知らせいたします 桜は八重がまだ咲き残ってゐます つゝぢが火がついたやうに咲いて来ました 石楠木は浄簾(ママ)の瀧の方で満開の一株を見ましたが大抵はまだ蕾の紅もさしてゐない位です〉

 碑の前には代表作にちなんで、檸檬が供えられていることもある。結核を患っていた梶井は、この碑のすぐそばにあった湯川屋という旅館で療養していた。

 当時の湯ヶ島は山あいの静かな温泉地で、川端康成が逗留して「伊豆の踊子」を書いた。やがて川端と交流のある作家たちが集まるようになり、その中に尾崎士郎・宇野千代夫妻がいた。

 昭和2年夏、まだ20代半ばの帝大生だった梶井はここで千代と出会い、恋をする。

 梶井の短篇「交尾」は、「その一」が猫、「その二」が河鹿(かじか)(カジカガエル)の交尾を描いている。「その二」の舞台は湯ヶ島である。

 雌への求愛のため、喉を震わせて鳴く一匹の雄。やがて雄は烈しい鳴き方をやめ、するすると石を降りて水を渡り、雌のもとに寄っていく。〈このときその可憐な風情ほど私を感動させたものはなかった〉と梶井は書く。

 湯ヶ島での梶井は、この渓流に沿って夜道を歩き、尾崎が東京に戻った後も湯ヶ島にとどまっていた千代の宿をしばしば訪れた。

「交尾」が収録されている「梶井基次郎全集」の巻末には、千代が湯ヶ島での梶井との交流を綴った「あの梶井基次郎の笑ひ声」というエッセイが収録されている。

 梶井が、年上の人妻である千代をどのように愛したか。千代はそれに応えたのか否か―千代のエッセイを読むと、31歳で早世することになる梶井の熱情の切なさに胸を打たれる。湯ヶ島の河鹿に託した思いが、そくそくと伝わってくるのである。

新潮社 週刊新潮
2018年8月2日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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