「二つの辺境」を合わせ鏡に

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

辺境の思想 日本と香港から考える

『辺境の思想 日本と香港から考える』

著者
福嶋 亮大 [著]/張 彧暋 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784163908304
発売日
2018/06/01
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「二つの辺境」を合わせ鏡に

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

「(ツイッターによって)誰もが発信できる社会とは、小さなプロパガンディストばかりになる社会のことです」

 この一文は、『辺境の思想――日本と香港から考える』の日本側の著者・福嶋亮大の文章である。香港側の著者・張(ちょう)いくまんと福嶋が一年間にわたって綴った日本語による往復書簡を収めた本書は、ツイッターやSNSによる速成の共感を拒絶し、自分たちの言葉で、東京と香港という二つの東アジアの都市に橋を架ける貴重な試みである。

 二人は若手の研究者である。張は香港中文大学の講師、福嶋は立教大准教授である。張はサブカルから入って日本が大好きになり、『鉄道への夢が日本人を作った――資本主義・民主主義・ナショナリズム』を英文で書いた社会学者、福嶋は中国文学の研究から文芸評論に進み、『復興文化論――日本的創造の系譜』を書いた。日本のアニメやゲームを媒介に始まった二人の交流は、二〇一一年の「3・11」と二〇一四年の「雨傘運動」を通過して、世界の、そして東アジアの「辺境」としての香港と日本を確認する。「中心」ではない、「辺境」から発信しうることがあるのではないか。

「中心」が大きく変わりつつある、というのが張の現状認識である。近代西洋文明の衰弱と、中華文明「復興」の脅威である。個人主義や自由主義の西洋はいまや「本質を見抜く力」を失い、「ポリティカル・コレクトネスの名の下に、全体主義的な空気が覆っているかのよう」である。対して中華文明は息を吹き返し、「近代民族主義の怨念や文化大革命の心の狂乱が再び蘇り、周囲に脅威をもたらしかねない状況」にある。「一国二制度」という不安定な体制の中で、二〇四七年の「中国化」が刻々と近づきつつある香港人の切実な危機感である。張はそれを本当の意味の「自虐史観」とも表現する。「最初はイギリス、次いで欧米諸国、最後は日本。これらの帝国主義の列強によって中国は侵略されたが、やがて中華民族意識が覚醒し、民族復興を果たす」という歴史認識である。つまり「中国人こそ最強の被害者だから、お前たち加害者は跪け!」という「自虐史観」だというわけだ。痛烈な皮肉が効いている命名ではないか。

 福嶋は「辺境」を、軍事的な「前線」と文化的な「周縁」という二つの顔から捉えることを提案している。たとえば「対米従属のために外交的自由を失った辺境の日本」は軍事的には朝鮮半島の巻き添えをくらう可能性がある。「周縁」の面から見れば、「中心(中国)では失われたものを蓄えるアーカイヴ」となり、「価値転倒の場」ともなり得る。内藤湖南、宮崎市定から金文京に至る京大支那学の伝統を参照しながらの議論は、「辺境」を世界史に拡げる視点を提供してもくれる。張は網野善彦のいう「避難所(アジール)」という視点を香港に導入する。現在の政権を否定する、前朝の「遺民」たちが流入する都市香港のイメージは豊かに肉付けされている。

 二つの「辺境」を合わせ鏡にしてみると、その共通項と差異も明らかになってくる。私が意外に思ったのは、香港の「雨傘運動」と日本のデモが比較対照されていないことだった。雨傘運動とは、「行政長官の普通選挙を求める民主化デモ」であり、ネットやSNSを媒介にして大きな広がりを見せ、長期化した。参加者の間で『進撃の巨人』の落書きが流行り、若いリーダーたちはガンダムファンだったり、日本のアイドルオタクだったりした。張は「政治改革を目指しながらも実質的な意味では失敗に終わった」と本書の中で書いている。日本で巻き起こった安保法制反対の運動と共鳴するととれる要素もある。しかし、そうはなっていない。張の次の言葉のリアリティを読むと、その事情がよくわかる。

「福嶋さんが羨ましいです。日本の文芸評論や文字を操る学問は、政治・暴力・血から遠いところに存在しています。でもこの香港という辺境の地においては、政治対決は、もっぱら文字と文芸によって繰り返されています。映画だけではなく、詩や音楽だって、時に命に関わるのです」

 本書の中には「銅鑼湾(コーズウエイベイ)書店事件」の顛末が書かれている。この書店はNHKの報道番組でも何度か取り上げられていた。中国共産党トップの悪口が書かれた告発本を扱っていた書店の店主や関係者が拉致された事件である。危機を感じた香港人は「出版自由と関係者の釈放を求める」デモを行なった。張もその一人で、デモには約六千人が参加した。半年間の拘束の後に、店主は交換条件つきで解放された。その条件とは顧客名簿を持ってこい、というものだった。店主はデモのニュースビデオをネット検索で見て動揺するが、名簿を持って出頭することにした。深センへ向かう途中駅で降りた店主は、タバコを三本吸って長考する。「もう私は彼らの奴隷ではない。なぜなら私は自由の地、香港にいるからだ」。

 張はこのエピソードを記した後に書いている。「私はこの事件は、香港史上(或いは東洋史上)もっとも重要な事件の一つとして刻まれたのだと思いました」と。香港人もようやく西洋人と同じく、「「自由」という「感情」の尊さを、身と心を通じて実感したのですから」(傍点は原文)。エピソードにはまだ続きがある。店主がなぜ危険な悪口本の販売に手を染めたか。店主の命の危機を救ったのが長年の顧客だったこと等。その他の豊富なエピソードも含めて、本書の書簡で読んでもらいたい。書簡体の力は捨てたものではない。

新潮社 新潮45
2018年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク