二つの現実の狭間で行われる殺人鬼と六歳児の死闘
[レビュアー] 小林泰三(SF作家)
この作品は元々、東日本大震災を対象とした英語によるチャリティアンソロジーのために執筆したショートショートだった。
この奇妙な世界設定は、自分なりになんとか被災者の方々に寄り添えるような作品が書けないかと試行錯誤した結果だった。
大きな災害後の人々の苦しみの中でも、愛する者を失った悲しみは筆舌に尽くしがたいものがあるだろう。災害は日常を突然断絶させてしまうのだが、その瞬間までは誰もがそれまでの日常が継続すると思い込んでいる。だから、災害の前に言っておかなくてはならないことを言うことはできない。いや。それどころか、最後の言葉がそれに相応しくない罵倒や悪口だったということは、とてもありそうなことだ。せめて、最後に優しい言葉を掛けておけばよかったと悔やんでも、時を巻き戻すことはできない。
そのようなとき、人々はこの世ではないどこかで、愛する人が幸せに暮らしていることを願わずにはいられない。その世界はたいてい天国とかあの世とか呼ばれる死後の世界だが、わたしはショートショート「お父さんとお母さんとヒロ君」で、その世界をこの世界と寸分たがわない同じ世界だと描写した。その世界では愛する人は死なずに今までと変わらない日常を送っている。ただし、こちらから向こうを見ることはできないし、向こうからこちらを見ることもできない。つまり、お互い様なのだ。もう二度と会うことはできないが、それぞれがそれぞれの世界で生き続けていく。そんな作品をわたしはアンソロジーに寄稿した。
角川春樹事務所の担当編集者氏から「うちで何か書きませんか?」と依頼されたとき、真っ先に浮かんだのが、このショートショートだった。ショートショートにはショートショートならではのシャープな良さがあるが、その一方、どうしても削ぎ落とさなくてはならないものが多くあった。革めて長編化することで、削ぎ落としたものを再構成して、自分の思いをより明確にできるのではないかと考えたのだ。
ショートショート版は二つの世界の狭間に生きる幼児の平凡な日常生活を切り取ったものだったが、長編化に当たっては起承転結を持った物語を構成しなければならないと考えた。物語の原動力として、幼児に対峙する存在を創造する必要がある。それは無垢な幼児とは対極な存在でありながら、幼児との共通点を持たなくてはならない。それは、二つの世界に同時に存在し、人の姿を持ちながら、人の心を持たない怪物なのである。
怪物は幼児と同じ能力を持つが故、必然的にライバル同士になる。二人の心のあり様があまりに違うため、協力関係にはなりえないのだ。怪物は自分と同じ能力を持つ幼児を将来の危険因子と見做し、二つの世界から消去しようとする。
彼の両親もまた危機を察知するのだが、彼らには一つの世界しかない。自分がいない世界で何が起ころうとも、それには一切干渉できないのだ。別の世界で我が子に起こることに対してできることはただ一つ、彼に助言することだけだ。
物語は、この不完全となった一組の家族と無慈悲な怪物との死闘を背景に、家族が新たなバランスを取り戻していくことを軸として構成した。
早速、プロットを作成し提出したところ、快諾を得られ、Webランティエでの連載が始まった。ただし、連載で公開したものは物語の前半部分のみであり、単行本には大幅に加筆修正したものが収録されている。
『パラレルワールド』はわたしの代表作となりうる作品である。是非お手にとって、お楽しみいただきたい。