思考の深さが半端でない 短歌の世界に新しい才能
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
短歌の世界に新しい才能が現われている。これまでは結社に入らないと活動しにくかったのが、SNSが広まり、独りで作って発表できるようになったのだ。ツイッターやラインで少ない文字数に言いたいことを込めるのに慣れているのも短歌に親しめた一因かもしれず、古代の歌の形式が最先端技術により不思議な盛り上がりを見せている。
九螺(くら)ささらも短歌を独習し、新聞の歌壇などに投稿して腕を磨いてきた人。初の著作である本書も、一言でくくれない作りになっている。
目次を開くと1から84まで奇妙なお題が並んでいる。そのひとつ「ふえるワカメ」の冒頭にあるのはこの一首だ。
「クローンとかAIとかを言う前にふえるワカメの森に行こうよ」
ふえるワカメの蘇生力を考察した散文がこの後につづき、深みに引き込む。パックされた状態だと「未来の森のミニチュア」のようにおとなしいのに、水に浸すと急激に増える。その力は「爆発的」「暴力的」かつ「復讐的」で、たかがワカメにたじたじとなり、扱い切れずに捨ててしまう。「人間は、人間以外の増殖が本能的に怖い」のだ。
締めには再び短歌が登場する。
「竜宮で浦島太郎がお土産にもらった箱にはふえすぎるワカメ」
ここで冒頭の一首とつながり、くるりとひとつの輪を描く。最新の複製技術を軽やかに批評した歌が、浦島太郎のお土産を歌ったこの一首にたどりついたとき、自然界から切り離された人間の孤独が浮き彫りになる。そうか、人間世界がこんなにややこしくなったのは、浦島太郎さんがもらってきた乾燥ワカメのせいだったのか。シニカルな笑いの背後から壮大な時間がのぞき見える。
短歌と散文を組み合わせた本は珍しくないが、散文を短歌でサンドイッチのように挟んで起承転結をつけたものは初めてではないか。鋭い批評精神と粘りのある思考力に、理系の視線が加わり、さわやかな一撃をくれる。