【刊行記念対談】“もう一人の僕”が顔を出すとき、必死に守ってきた平穏が壊れてしまう――。予測不能のサスペンス。『スケルトン・キー』道尾秀介×中野信子

対談・鼎談

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スケルトン・キー

『スケルトン・キー』

著者
道尾 秀介 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041069172
発売日
2018/07/27
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【刊行記念対談】『スケルトン・キー』道尾秀介×中野信子


自らを「サイコパス」と自認する19歳の青年、坂木錠也。“まとも”な状態を保つため、彼なりに足掻きながら暮らしていたが、久しぶりに会った友人の質問から日常が崩れはじめ――。道尾秀介さんが「読者と勝負したい」と選んだテーマに脳科学者としての視点から、中野信子さんに切りこんでいただきました。

心理的なブレーキを外す

道尾 今回、『スケルトン・キー』を書くにあたって、参考資料の一冊として中野さんの『サイコパス』(文春新書)を挙げさせていただきました。これ、もともと好きで読んでいたんです。小説の主人公にしようとは思っていませんでしたけど。

中野 好きで読んでいただいていたなんて光栄です。道尾さんの文章はすごいとずっと思っていたので、テレビ番組で初めてご一緒したときに、「本物がいる!」と(笑)。

道尾 僕も中野さんの文章、読みやすくて好きですね。すごくわかりやすい。ちょっと話が難しくなったときに、絶妙なタイミングで箇条書きにしてまとめてくれたり。でも、小説ではそれができないんですよね。主人公の心理描写をわかりやすくしようと、カットバック的に過去のことをもう一度書くこともできるんですけど、道に迷っていない読者にとっては冗長になるから。

中野 そういう場合、どうされているんだろうとずっと思っていました。道尾さんくらいの手練れだと、リテラシーの高い読者さんがついてらっしゃるんでしょうけど、その人たち向けに書くと、初めての読者にはちょっとジャンプがあるなというところもあるでしょうし。その兼ね合いにご苦労されているんじゃないかなと思っていました。今回の『スケルトン・キー』でも、ジャンプ感を楽しめるところと、わかりやすく丁寧に書かれているところと両方ありましたね。
 主人公がサイコパスだという設定について言えば、生まれつきの犯罪者だと思われないように、良い部分を説明することでクッションにされている。それを物語の中でこう表現するのか、と唸りました。読者の不快感をやわらげたり、逆にざらつかせたりすることで、主人公を魅力的に見せるのもさすがでしたね。

道尾 書くときに気づいたんですが、サイコパスの一人称って実は珍しいんですよね。

中野 ああ、そうか。そうですよね。

道尾 もともとレクター博士シリーズとか、映画で言うと「SAW」シリーズとかがすごく好きなんです。でもサイコパスの内面を描いていないというちょっとした不満があって。『羊たちの沈黙』でもクラリスという主人公がいて、サイコパスのレクター博士は登場人物の一人。たしかにそのほうが圧倒的に書きやすいんですが。

中野 第三者の視点でサイコパスを描くほうが書きやすいんですね。

道尾 ただただ、怖い、何をするかわからないと書けばいいんです。でも一人称にすると、なぜ何をするかわからないかを書かなければならない。難しかったけど、何回も書き直しているうちに、だんだんとコントロールできるようになってきました。

中野 おっしゃるようにサイコパスの内観をかなり丁寧に追っていらして、さすが作家だと思いました。サイコパスは普通の人とはものの見方、感じ方が違いますが、普通の人の文脈でサイコパスを理解しようとすることが一般的ですよね。ところが道尾さんはまったく違う視点から捉えられている。そこが読んでいて心地よかった。

道尾 実は三人称にいきかけたときもあったんですよ。危なかったです(笑)。前例のないことをやるのって怖い。半年くらいかけて長篇を書いて、やっぱりうまくいきませんでしたじゃ目も当てられませんから。料理なら、不味いものをつくっても食べられるじゃないですか。失敗作のミステリは何の役にも立たない(笑)。ただの汚点。

中野 賭けの部分があったんですね。

道尾 これから書くことに先例がないとか、自分の能力以上かなとか考えるときに、いつもロジャー・バニスターを思い出すんですよ。一マイルを四分以内で走るのは人間の身体能力では不可能だ、と言われていた。ところがロジャー・バニスターという陸上選手が四分を切った途端、次々に切る人が出てきた。

中野 心理的なブレーキがかかっていた。

道尾 事実としてそういう逸話があるってことは、脳にリミットをかけているのは自分だってことですよね。

中野 それにはいろいろな事例があって、ネガティブに働くものだと「ステレオタイプ脅威」が有名ですね。たとえば女性は数学が苦手だというステレオタイプなイメージがありますよね。先生が褒めるつもりで「女の子なのによくできたね」って言っちゃう。すると言われたほうは女の子は数学ができちゃいけないんだ、と学習してしまう。その結果、中学までは女子のほうが数学の成績がいいのに、高校に入ってがくっと下がるなんてことが起きる。

脳の中に人物をつくる

道尾 自分でリミットを外そうと思ったのは、『スタフ』という長篇小説を書いたときもそうでしたね。女性主人公の一人称で書いたんですが、書き始める前はすごく難しいなと思ったんです。でも、作家として十年以上やってきて書く技術が身についてきたから、女性が読んでも違和感がないものを創造できるだろうと。今回も同じ難しさを感じました。サイコパスは異性と同等かそれ以上に自分と違う存在なので。

中野 道尾さんがサイコパスなのかしら? というくらい迫真的な描写もありましたよ(笑)。サイコパスは恐怖を感じないという部分をクローズアップされて書いていましたが、道尾さんご自身は怖いと感じるタイプですか?

道尾 感じますね。ものすごく心配性です。

中野 描写が丁寧なのはその繊細さからでしょうか。そういう道尾さんが怖さを感じない人の描写をするときって、どんな心理的なハードルがあるかしら、ということをお聞きしたいです。

道尾 よく「憑依型」って言われるクリエイターがいますよね。なりきるタイプ。僕はそのタイプじゃないんです。自分は自分なので、別人物になろうと思っても絶対に自分が顔を出してしまう。その代わり、頭の中に、完全に自分から離れた存在としてその人物をつくって書いています。

中野 そうか。完全に主人公を造形してしまうんですね。造形したキャラクターをシミュレーターで動かすような感じですか。

道尾 それに近いですね。ある程度プログラムを打ち込んでおけば後は勝手に動いてくれます。たまに予想外の動きをするんですよね、バグを起こして(笑)。そのときは自分でもびっくりしますけど、それが小説を書く楽しみでもあるんです。

中野 予想外のところが面白いんですね。

道尾 生ものを扱っている感じがして。

中野 生ものかあ。面白いですね。サイコパスの心理描写はすごくリアルだと思いました。

道尾 専門家にそう言ってもらえるのは心強いですし、嬉しいですね。

サイコパスの一人称だから書けた

中野 ネタばれしないように話すのが難しいんですが、DNA鑑定のエピソードがありましたよね。DNAをこう扱うんだ、というアイディアが面白いと思いました。

道尾 二〇年くらい前には、ちょっとした皮脂から犯人が特定できるなんて信じられなかった。DNA鑑定のように、科学が発達すると、書かれる物語もどんどん変わってきますよね。平安時代には誰かの夢を見たら、その人が自分のことを好いている、と考えられていた。でも現代では自分がその人のことを好いていると考える。逆ですよね。『スケルトン・キー』も現代の科学知識があって生まれた物語だと思います。

中野 DNAを扱うにしても、いくつも仕掛けがあって、タタタッと驚きが続く。しかもその後の物語の展開を予想していたら、見事に裏切られました(笑)。

道尾 小説の醍醐味ですよね。「ある方向から見たら丸だけど、別の方向から見たら線。それはなんでしょう」「円盤」。映像はそのへんが限界ですが、小説だとある方向から見たら四角で、丸で、三角で、人の顔に見えたり、お金に見えたり。いろんなものに見えるものがつくれるんですね。そういう仕掛けを小説に仕込むのが楽しいんです。

中野 そういうことを考えるのが昔からお好きなんですか。

道尾 好きでしたね。僕、極度の方向音痴なんですよ。空間情報認知能力が異様に低い。いまだに仕事場の近所でも迷います。だからそっちは早々と諦めたんです。でも文章でなら空間を書けた。

中野 もしかしたら道尾さんは方向音痴の能力をすべて言語能力に使っているのかも。盲目の人は脳の視覚野を何に使っているの? という研究をした人がいて、なんと使われていない視覚野をほかの能力、たとえば言語能力に使っていたりすることがわかったんですよ。脳の空いた領域を言語や、演奏などほかのことに使える。盲目の方の見る以外の能力が鋭敏になるのには理由があるんです。

道尾 サイコパスの場合だと、共感能力が低い代わりに知能など別の方向に能力が伸びている可能性がありますよね。現代に生きていて、共感能力や他人の気持ちを読む能力がなかったら、脳の使えるスペースが相当広がりますよ。

中野 その直観はさすが小説家ですね。物語をつくる人の人間観察力ってすごいなと思います。脳の模型を外側から見ると、半分以上が前頭葉。そのうち約四分の一にあたる中のほうや底面に共感性や思いやり、良心が集中している。つまりサイコパスが使わない社会性ですね。あの大きな前頭葉の四分の一がほかのことに使えるんだったら、かなりアドバンテージがありますよね。

道尾 しかも現代だとそれがサバイバル能力につながりますね。狩りをするわけではないから、昔ほど反射神経とか必要ないし、脳の使い方もかなり違っていると思います。

中野 そうですね。運動能力よりもむしろ人間関係における瞬発力のようなものがかなり重要視されていて、その能力が高いほうが生き残りやすい。コミュニティの密度が高いところはとくにそうですね。
 サイコパスと真逆だと思われているのが、昔は対人恐怖症といって、いまは社会不安障害と言われている人たち。他人の視線や思惑がまったく気にならないサイコパスたちに対して、電車に乗れないくらい周りの視線が気になっちゃう。まったく対照的なんです。共感性の部分と扁桃体の結びつきが強すぎると社会不安障害、薄い人がサイコパスなんですよね。

道尾 脳科学的に対照的なんですね。

中野 そうなんです。対人恐怖って、昔は日本人の国民病みたいに言われていたんですけど。いまは引きこもりのようなかたちで出ているんでしょうね。

道尾 サイコパスは人を人として見ずにモノとして見る。だから邪魔ならその人をどかす。対人恐怖の人たちはどかせないから自分が立ち止まるなり引き返すなりする。

中野 サイコパスは性癖を隠すこともできる。育っていくうちに、自分と周りの人との反応が違うってことがわかってきます。猫の死骸を見たときに「こいつ間抜けだね」って言ったら周りの人が引く。「あ、これは言っちゃいけないんだ」。普通の人たちはかわいそうだという気持ちが強く、善悪の判断が生得的にできるようだと察知するようになる。それを窮屈に感じるサイコパスたちもいると思います。

道尾 サイコパスの最大の特徴は人に共感できないところ。でも、幼少期、主人公と相互作用を起こす人物が一人は必要だった。それが主人公と同じ児童養護施設で育ったひかりという女性です。なぜ彼女だったかというと、サイコパスでも恋はするわけで、恋愛をキーワードにすれば書けるはず、と書いてみたらできたんですね。学校の先生とか、他にもいろいろ考えたんですけど。

中野 性的に未発達な段階での相互作用であることが面白いなと思いました。普通の人間のどろどろしたものではなくて。

道尾 あの頃の恋愛って、大人と違って無目的なんですよね。大人は必ず目的がある。セックスとかお金とか結婚とか。それがない無目的な恋愛っていろいろなことが書けるんです。ゴールがないから。

中野 接触という行為を知りたくてヤギ小屋に忍び込むシーンも印象的でしたね。

道尾 児童養護施設に関する本も資料としてたくさん読んだんですが、抱きしめられた経験の少ない子供が多いそうです。抱きしめられたいとしたらどうするだろう、と考えて。サイコパスのような普通ではない人が主人公だと「ヤギはみんな顔が違っていて、人間の女の人のようなやつも、おじさんのようなやつもいた」って唐突に一行入れられる。それも面白かったですね。まともな精神構造の主人公だとそうは書けないですから。

中野 面白いですね、小説家の考え方って。小説家の分析もしたくなってきました。

道尾 分析するよりも、中野さんご自身で小説を書いてください。読んでみたいです。

中野 いやあ、そんな。大師匠の前では、ひよっこです(笑)。

 * * *

道尾秀介(みちお・しゅうすけ)
1975年東京都出身。2004年『背の眼』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー。09年、『向日葵の咲かない夏』がベストセラーに。10年『龍神の雨』で第12回大藪春彦賞、『光媒の花』で第23回山本周五郎賞など、数々の文学賞を受賞。11年、戦後最多記録となる5回連続でのノミネートを経て、『月と蟹』で第144回直木賞を受賞した。

中野信子(なかの・のぶこ)
1975年東京都生まれ。東京大学工学部を卒業後、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程を修了し、現在まで脳科学者として精力的な活動を続ける。2008年から10年まで、フランス国立研究所にて博士研究員として勤務。現在、東日本国際大学教授。著書に『サイコパス』『シャーデンフロイデ -他人を引きずり下ろす快感-』などがある。

取材・文=タカザワケンジ 撮影=ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2018年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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