【刊行記念対談】少子高齢化、雇用崩壊、弱者切り捨て……この国は大丈夫?もっと世の中が面白くなるお金の話。『キミのお金はどこに消えるのか』井上純一×飯田泰之

対談・鼎談

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【刊行記念対談】『キミのお金はどこに消えるのか』井上純一×飯田泰之


“中国人嫁・月さん”との愉快な毎日を綴ったコミック『中国嫁日記』で知られるマンガ家の井上純一さん。8月4日発売の新刊『キミのお金はどこに消えるのか』では、お金と経済の疑問に月さんと一緒に斬り込みます。『文芸カドカワ』連載時から話題沸騰だった“経済エッセイマンガ”について、井上さんと同作監修担当の経済学者・飯田泰之さんが語り合いました。

月さんの何気ない一言がヒントに

――『キミのお金はどこに消えるのか』は井上さん初の経済マンガです。意外に思った読者も多いと思うのですが、作品が生まれた経緯とは?

井上 僕も経済については素人なんです。ただ身近に詳しい人がいて、それが今回企画協力してくれたアル・シャードさんなんですが、彼がお金や経済についてよく雑談をしてくれるんです。その話がとんでもなく面白い。「政府はもっとお金を使わないとダメ」とか、「インフレもデフレも実はあまり変わらない」とか初耳の話ばかりで、これはマンガにしたら面白いと思ったんですよ。僕はなんでもマンガにしたがる人間なので(笑)。

飯田 さすがは『中国嫁日記』の井上さんだ(笑)。

井上 でも経済を解説するだけのマンガにはしたくなかった。解説マンガってつまらないものが多いじゃないですか。

飯田 マンガがただの「添え物」になっている作品が多いですね。だったら最初から活字で書けばいいのにと思います。

井上 そんな話を中国人嫁の月にしたら、「(円安で)わたしたちのお金はどこに消えたの?」と言ったんです。円安でお金が消える、っていう発想は僕にはなかった(笑)。それで月の反応まで含めて描ければ、経済を面白く伝えられるなと思ったんです。

飯田 経済解説マンガではなく、経済エッセイマンガですよね。主体はあくまで井上夫婦のやりとり。

井上 自分でもエッセイだと思っています。この手のマンガは分かりやすい悪役を設定して、そいつを叩くと人気が出やすいんですよ。ただ経済は簡単に白か黒かで割り切れるものじゃない。悪役を叩くパターンにはしないでおこうとあらかじめ決めていました。

飯田 たとえみんなが善意によって動いても、最悪の結果を招くこともありうる。そこが経済システムの興味深いところです。

井上 ええ。経済がこんなにややこしくて多面的だとは知りませんでした。ひとつ問題を解決したと思ったら、また次の問題が浮かんでくる。飯田先生もよく本の中で、経済学は世界の真理を見つけ出すものではないと書かれていますよね。

飯田 イギリスの経済学者ケインズは、経済学は「腕のいい歯医者」を目指すべきだと言っています。ちょっとでも世の中の問題を改善できたら十分なんだと。そこが真理の探究を最重要視する学問分野とは大きく異なっていると僕は思います。

実は相性抜群の経済とマンガ

――「インフレとデフレ」「消費税」「経済成長」など、幅広いテーマが取りあげられていますが。

井上 そこはアル・シャードさんのお蔭です。毎回の流れとしては、まず僕がアル・シャードさんにテーマに沿った授業を受けて、その話を家に帰って月に伝えます。すると思いもよらないリアクションが返ってきて、こう描こうという計画が粉々に壊される(笑)。用意していたオチを先に言われることもありますし、話がどこに転がるか分からないのでスリリングな連載でしたよ。

飯田 僕は監修としてクレジットされていますが、あくまでチェック役に過ぎないんです。用語や概念についてはかなり細かくチェックしましたけど、中身についてはほとんど口を出していません。学者が下手に口をはさむと、ただの解説マンガになってしまう。月さんの自由な発想が消えてしまうんですね。

井上 僕が月を説得してしまうのも、またつまらないんですよね。あれこれ説明したあげく結局分かってもらえませんでした、というほうがマンガとしては面白い。結局その通りになりましたけど(笑)。

――どこに日本経済の問題があるのか、初心者にも分かりやすく描かれていますね。

井上 知識ゼロの月でも分かるように描くというのが大前提。詳しい人が読んだら、突っ込みどころはあると思うんです。どんな分野でも本気で議論しようとすると、前提条件を山ほど並べないといけない。限られたページ数では不可能なので、本筋と関係ない部分はカットしています。

飯田 学術書じゃないのでアリだと思います。どうしても補ってほしい知識については、アル・シャードさんがコラムで書いてくれてますし。しかしつくづく思いましたが、マンガという表現技法は便利ですね。言い足りないことを補おうとすると、活字の場合は「脚注」をつけるしかないんです。マンガはそこを「書き文字」にして添えておくことができる。文字の太さや大きさでも発言に強弱がつけられますし。

井上 マンガって本来、ものごとを論理的に説明するのには向いていないんです。その代わり、ふわっとしたニュアンスを伝えるのには向いている。このマンガがうまくいったのは、お金や経済自体がかなりふわっとした、捉えどころのないものだからですよ。

この本が議論のもとになればいい

――毎回ネットに多くの感想がアップされていましたが、一番反響の大きかった回はどれですか?

井上 ダントツで経済成長の回です。日本にこれ以上の経済成長は必要ないという一部の論の矛盾を指摘して、どうすれば経済成長できるかを具体的に示しました。金融緩和を推し進めて、税金を下げれば状況がぐんとよくなることは、ここ数年の新卒採用数を見ても明らか。やろうと思えば、簡単に実現できる話なんですよ。

飯田 奥さまの月さんが中国出身なのもよかったですよね。中国の人たちにとって、経済は成長し続けるものだし、暮らしは豊かになるのが当たり前。経済成長は必要ないっていう論は、月さんには理解不可能だと思います。経済が成長しないと、限られたパイを奪い合うようになって、社会全体がギスギスするんですけどね。

井上 まさに今の日本の姿ですね。それで生活保護費や医療費を削れという話になる。僕がこのマンガを描いた大きな理由は、公共性があると感じたからなんです。「経済成長って何?」「消費税を上げるとどうなるの?」っていう事実を知ってもらうだけで、世の中にとって意味があると思うんです。

飯田 その一方で、金融資産とは誰かの負債である、という経済学の基本命題をきちんと扱えたのもよかったですね。みんなよく「貯蓄が大切」って言うんですけど、その真の意味をよく分かっていない。このマンガではそこをちゃんと描いた。

井上 資産は誰かの借金だという話ですよね。借金する人がいなければ貯蓄もできない。「お金は借金が生む」っていう視点は月にも新鮮だったみたいで、大受けでした。日本人はつい借金を悪いことだと考えてしまうけど、そうじゃないんだと。

飯田 もうひとつの読みどころは「価値」の話。世の中に絶対的価値があるものはない、という説を紹介したのは意義があります。何に価値を感じるかは人によって千差万別。ある人にとってはガラクタでも、別の人にとっては宝物っていうことは往々にしてあるでしょう。

井上 ええ。「原価厨」と呼ばれる人たちにとって、原価以上に高いお金を払うことはバカバカしい行為に映る。でも当人が気持ちよく払っているなら、まったく問題ないんですけどね。価値観が相対的だからこそ、世の中は面白く豊かになるわけで。

――この本で描かれていることは、オーソドックスな経済学なのでしょうか。

飯田 そうです。「リフレ色」は強いですが、一定数の支持を得ている考え方ですね。もちろん僕を含めたリフレ派、つまり金融緩和によってデフレをインフレに転換させようという考え方にも批判はあります。たとえば、消費税を20パーセントくらいまで上げれば、社会への信頼性が高まって、景気が安定するという考えの人もいる。

井上 そんな考え方もあるんですか。この本では消費増税にあれほど反対したのに……。つくづく経済は奥が深いですね。調べれば調べるほど分からなくなる。だから面白いんですね。

飯田 連載を終えて、月さんは経済に詳しくなりました?

井上 まったく変わりません。いまだに「どうしてデフレがよくないの? 物価は安いほうがいい」って言っていますから。そこからかい!って(笑)。ぐるっと回って最初の疑問に戻ってしまった。

飯田 それなら続編が描けそうですね。今回はマクロ経済学的な話題が多かったので、もし次回作があるとしたら、もっとミクロ経済寄りの話題も取りあげたいですね。

井上 こうすれば儲かるとか、家計のやりくりをどうすればいいかとか。読者が真っ先に知りたいのは実はそっちじゃないかという気もしますしね。

飯田 そのためには1冊目が大ヒットしないと(笑)。監修者が褒めるのもおかしいですけど、エッセイマンガだからこそ経済の深いところに到達できた、貴重でわくわくさせられる作品だと思います。広く読まれてほしいですよね。

井上 経済学なんて自分たちには関係ないというムードに、ちょっとでも風穴を開けたいんですよ。お金と経済の話は決して他人事じゃないし、変えようと思えば変えられるんだよと。『キミ金』に描いたことが世の中の常識になって、そこから新しい議論が生まれてきたらいいなと思っています。

 * * *

井上純一(いのうえ・じゅんいち)
1970年生まれ。宮崎県出身。多摩美術大学中退。マンガ家、TRPGデザイナー、イラストレーター。銀十字社代表取締役社長。代表作は、中国から来た月さんとの結婚生活を描いたエッセイマンガ『中国嫁日記』シリーズ(既刊全7巻好評発売中)。経営する会社の金銭トラブルなどをきっかけに、お金と経済の問題に興味を持ちはじめ、『キミのお金はどこに消えるのか』の執筆に至る。

飯田泰之(いいだ・やすゆき)
1975年生まれ。エコノミスト。明治大学政治経済学部准教授、公益社団法人ソーシャル・サイエンス・ラボ理事、内閣府規制改革推進会議委員。東京大学経済学部卒業後、同大学院経済学研究科博士課程単位取得。主な著書に『経済学講義』(ちくま新書)、『マクロ経済学の核心』(光文社新書)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)などがある。

撮影=ホンゴユウジ 取材・文=朝宮運河

KADOKAWA 本の旅人
2018年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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