はぐれ者がエリートに一泡ふかせる痛快な物語

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大ぼら吹きの城

『大ぼら吹きの城』

著者
矢野 隆 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041055953
発売日
2018/07/27
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

はぐれ者がエリートに一泡ふかせる痛快な物語――【書評】『大ぼら吹きの城』末國善己

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

 派手なアクションが連続する『蛇衆』でデビューした矢野隆は、『無頼無頼ッ!』『勝負!』など伝奇色の強い時代小説を発表していたが、近年は、裏切り者とされてきた小早川秀秋を再評価した『我が名は秀秋』、殿軍を任された武将を描く連作集『戦始末』など、得意の活劇に、斬新な解釈を加えた歴史小説でも注目を集めている。

 美濃攻略を進める織田信長のため、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が敵地の墨俣に城を建てる危険なミッションに挑む本書も、迫力の合戦シーンを通して、秀吉の前半生を今までにない角度で切り取った歴史小説の傑作である。

 農民から天下人になった秀吉の出世話は古くから人気が高く、吉川英治、山岡荘八、司馬遼太郎ら錚々たる作家が手掛けてきた。ただ才覚と滅私奉公の精神で出世街道を進んでいった秀吉の物語は、努力や忍耐を称賛する教訓譚になりがちだったのは否めない。

 これに対し著者は、農業をしている実家にも、寺にも、針売りにも馴染めなかった藤吉郎は、常に“自分さがし”をしている若者に過ぎないとしている。信長に仕え「天下人になる」という野望を持った藤吉郎だが、たとえ天下人になったとしても「ここは己の居場所ではない」と思うのではないかという不安を抱いているのだ。

 金を稼ぐ、出世をすることが幸福だとの価値観が共有され、努力をすれば夢が実現できる可能性が高かった高度経済成長期なら、我慢をし研鑽を重ねて栄光を掴んだ秀吉の物語にもリアリティがあった。だが苦労をして入った大企業があっけなく倒産したり、あくせく働くよりプライベートを大切にしたいと考える人が増えたりしている現代では、誰もが自信を持って進むべき道を示しにくくなっている。漠然とした理想はあるが、それが正しいのかさえ分からず悩み、苦しむ本書の藤吉郎は、社会構造が変わり、価値観が多様化した現代の若者が共感できるキャラクターになっているのである。

 信長に仕えた藤吉郎だったが、それは侍と認められない武家奉公に過ぎず、熱烈な求婚で、弓衆の浅野又右衛門の美貌の養女・於禰と結婚したことで、さらに家中の風当たりが強くなる。そんな藤吉郎の転機になったのは、平時は水運に従事し、戦時は兵士になる川筋衆の頭目・蜂須賀小六への調略である。針売りをしていた頃に小六と知り合い仲良くなった藤吉郎は、信長に恨みを抱く小六の説得に成功する。その功で、侍として信長家臣団に加わった藤吉郎は、エリートの佐々成政が失敗した敵地・墨俣に城を築くと宣言する。

 藤吉郎が墨俣への築城に名乗りを上げるのは、成功したら出世の足がかりになるためだが、それ以上に、農民出身の自分を見下してきた柴田勝家、丹羽長秀らへの敵愾心も大きい。築城には川筋衆の協力が不可欠だが、小六以外の頭目は必ずしも藤吉郎に協力的ではない。藤吉郎は、やはり侍から「根無し草」などと愚弄されてきた川筋衆を、自分と一緒に侍を見返すために戦おうと説得、川筋衆もその心意気に賛同するのである。

 いってみれば墨俣築城は、叩き上げの中間管理職が派遣社員を率いて、社運を賭けた巨大プロジェクトを進めるようなものであり、墨俣城は、社会の底辺からなかなか這い上がれない人たちに希望を与える“光”の象徴とされている。それだけに、美濃の大名・斎藤竜興が率いる八千もの兵が殺到する墨俣城を、藤吉郎直属の鉄砲足軽七十五人と喧嘩上等の荒くれ者が揃う川筋衆が、侍の常識にはない大胆な発想で迎え撃つクライマックスは痛快に思えるだろうし、したたかに世を渡っていく藤吉郎には勇気がもらえるはずだ。

 墨俣城には、上流で伐採した木を筏にして運び一夜で組み立てたとの伝説があるが、著者はまったく違った建築法を採っている。その工法は、実際に読んで確認して欲しい。

 本書は墨俣城が完成したところで幕を降ろしているが、秀吉のサクセスストーリーはこれ以降が本番である。著者には、同じ歴史観による続編を期待したい。

KADOKAWA 本の旅人
2018年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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